映画「銀鏡 SHIROMI」公開直前対談をオンラインで視聴。1時間7分30秒過ぎあたり、赤阪友昭監督の話が印象深く、要約・メモします↓
(意味がわかっていようがいまいが)神楽という一つの軸を持っているので、生きている立ち位置が全くぶれない(略)背景に必ず神楽を背負っているし神様を背負っているし、だからすごくある意味誠実だし真摯ですよね(略)神楽をやるという事が、土地と繋がる事、一つの約束事やと思うので、それを毎年毎年やり続ける事の、形からできてくる精神性みたいなの、絶対あると思うんですよ。禅の修行というか(略)
日本の伝統文化の中に作法があって(略)要するにフォームというか、それをなぞっていく内に、何かしら自分の中の精神性の軸みたいなのができて(略)フォームに蓄積されていった精神性みたいなものの、欠片みたいなものが、自分の中にも気配として忍び寄ってくる(略)そういうフォームを手に入れた時の安心感というか。作法を何も考える事なくサッと出来た時、自分の中に一つの筋というか、軸ができてくる安心感がある。豊かさみたいな。やっぱり銀鏡の人達とか、そういう暮らしをしている方々、いらっしゃると思うんです。
対談者の鞍田崇(哲学者)さんは、単なる反復でなく、そこには個々人がいて、血の通ったフォームであることにも言及されました。映画は2月19日公開予定(渋谷・イメージフォーラムから順次)。上記対談は公開・主催「Tombac」さんのFBページからまだ閲覧できます。見たい人は探してね。画像は2018年9月、大阪・国立文楽劇場で銀鏡神楽を拝見した時に頂いたパンフレットなど。