熊野各地にかつてあった森そのものをお祀りする神社、神森。神島も江戸時代には神島明神森でした。

明治末期の神社合祀で神社は潰されたものの、南方熊楠や地域の住民たちの抵抗により森は守ることができた神島(かしま)。

神島の森は江戸時代には神島明神森と呼ばれました。紀州藩が編纂した地誌『紀伊続風土記』の新庄村の項には次のように記されています(私による現代語訳)。

○神島明神森  境内島九町
鳥ノ巣より海上三町ばかりを隔てて神島にある。祭神は詳らかでない。

新庄村:紀伊続風土記(現代語訳)

「神森」とは、森そのものをお祀りする神社のこと。森そのものを神社とする神社。かつての熊野には「神森」と呼ばれる神社が各地にありました。

『紀伊続風土記』に記されたいくつかの「神森」の記述によると、「神森」には社殿があるものもあり、社殿がないものもありますが、もともとは社殿はなかったのであろうと思われます。 

古代の日本人が神様と出会う場所というのは建物のなかではなく、森のなかにぽっかりと空いた、木々に囲まれた空間であったのだろうと想像されます。おそらくは森の中にぽっかりと空いた空間が神社の始まりでした。そのような古い信仰の形が熊野では100年ほど前まで伝承されていました。

神森は明治末期の神社合祀で、ほとんどが潰されました。潰された神森の森は伐採されました。神島明神森のように神社が潰されたにも関わらず森が残されたのは極めて稀なケースです。

神島についての動画をYouTubeに公開しました。ぜひご覧ください。