東北地方太平洋岸における熊野信仰布教の拠点であった宮城県名取市で先日上演された復曲能「名取ノ老女 」。
地謡で参加された鈴木啓吾さまからパンフレットや手ぬぐいをいただきました! ありがとうございます!
「名取ノ老女 」は熊野の山伏が名取の老巫女に梛の葉を届けるお話。熊野の神様の霊験を伝える能の演目。復曲された「名取ノ老女」では名取の地名が読まれたり、「熊野の本地」が語られたり、変更点がいくつかあります。
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熊野本宮大社のお守りをデザインされた荒木飛呂彦先生。
http://www.araki-jojo.com/1037/
荒木飛呂彦先生に、もし熊野が舞台として登場するマンガを描いていただけるとしたらどんなのがいいかな、と考えてみたことがあります。
荒木飛呂彦先生は宮城県出身。東北出身ということで、岩手県の平泉が2011年に世界遺産に登録されたことを記念した「東北復興平泉宣言」のイメージイラストで奥州藤原氏三代の清衡・基衡・秀衡を描かれています。
http://www2.pref.iwate.jp/~sekaiisan/illust.html
そこで思い付いたのが、奥州藤原氏第3代の秀衡の熊野詣。
秀衡は熊野を詣でて熊野権現の霊験に感動し、滝尻の地に七堂伽藍を建立したと伝えられます。
実際に秀衡が熊野を詣でたかはわかりませんが、鎌倉時代末期成立の歴史書『吾妻鏡』によると、秀衡のときに平泉に今熊野社や王子諸社が勧請されているので、秀衡が熊野を信仰していたことは確かなことだと思われます。
宮城県には東北地方の熊野信仰布教の拠点であった名取熊野三社があり、また名取熊野三社の統轄者である名取熊野別当は秀衡の後見人でもありました。
荒木飛呂彦先生なら東北と熊野とをつなぐ藤原秀衡の物語を描くことができるかも、と夢想したのでした。
写真は継桜王子近くにある秀衡桜。
第26回南方熊楠賞受賞の中沢新一先生がインタビュー記事のなかで「名取ノ老女」について触れています。
http://www.ntj.jac.go.jp/nou/27/natorinoroujo/topics07_02.html
僕はこの「名取ノ老女」は、遊女じゃないかと思うんです。あの人は熊野詣でにしょっちゅう行ってるでしょう。どうやって行ったかというと、船以外には考えられない。東北から熊野まで相当な距離ですが、室町時代の軽さで結構自由に移動するようになる。名取に住まいしていた老女も、船に乗って熊野へ行く。海の世界、海民が、熊野と東北までも繋ぎます。「名取ノ老女」は毎年熊野に行って、途中の港にいる顧客相手に商売し、ポケットマネーを持って熊野に行く。そういう熊野詣でをしていた遊女はたくさんいて、音阿弥もきっと、そういう背景でこの曲を書いていると思うのです。このおばあさん、すごく自由な人だったと思います。財産家でお金を持っている、道中では仕事もこなす。だから旅行なんかは平気です。
「名取ノ老女」は、明治以降廃曲となり、先日、東京・国立能楽堂で復活上演された能。
名取熊野三山が舞台として登場する能です。
熊野でもぜひ上演していただけたらな〜。