本日は節分。熊野本宮大社の追儺式に参列して、福豆やお餅、お菓子を撒かせていただきました。
節分では豆を撒きますが、一説としてその風習の元になったとされるのが熊野九十九王子のひとつ・切目王子で行われた豆の粉(大豆粉、きな粉)の化粧。
熊野詣の帰途に切目王子の前では豆の粉で化粧するというしきたりがありました。
室町幕府三代将軍・足利義満の側室・北野殿が応永34年(1427年)に熊野参詣したときに先達をつとめた住心院僧正・実意が記した日記『熊野詣日記』には以下のように記されています。
10月6日 曇り
実意『熊野詣日記』(私による現代語訳)
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五体王子である切目の王子の御前にてお化粧品を差し上げる。豆の粉である。お額、お鼻の先、左右のお頬の先、おあごなどにお塗りになって、まさに王子の御前を通り申し上げなさるときには稲荷の氏子のように「こうこう」とおっしゃるようにと申し入れた。
切目王子での豆の粉の化粧の由来は、後花園天皇の父・後崇光院が書写した『宝蔵絵詞』で知ることができます。『宝蔵絵詞』現代語訳