本日6月1日は南方熊楠が昭和天皇にお会いした日

神島

本日6月1日は南方熊楠昭和天皇にお会いした日。
今から88年前の昭和4年(1929年)6月1日に熊楠は、田辺湾に浮かぶ無人島・神島(かしま)で昭和天皇に拝謁しました。

変形菌学者でもあった若き昭和天皇が日本における変形菌研究の先駆者である熊楠から講義を受けることを望まれ、実現した二人の出会いでした。

熊楠の神社合祀反対運動の象徴的な場所であり、2人の出会いの場となった神島は、今では国の天然記念物であり、また国の名勝「南方曼陀羅の風景地」の一風景地となっています。

熊楠が初めて神島に上陸したのは、明治35年(1902)6月1日。そして、神島に昭和天皇をお迎えしたのも6月1日。偶然なのでしょうが、運命的なものを感じます。

明日6月1日は南方熊楠が昭和天皇にお会いした日

御座船

明日6月1日は南方熊楠昭和天皇にお会いした日。

今から88年前の昭和4年(1929年)6月1日に熊楠は、神社合祀反対運動の象徴的な場所である田辺湾に浮かぶ無人島・神島(かしま)で昭和天皇をお迎えしました。

昭和天皇は、熊野三所神社に今も保存されるこの御座船に乗って、神島に上陸しました。

神島

神様の島での2人の出会いはまるで神話のいち場面のようです。

湛増忌に思う

湛増所持の鉄扇

本日5月8日は、歴史上最も有名な熊野別当・湛増の命日です。湛増は建久9年5月8日(1198年6月14日)に69歳で亡くなりました。

熊野は明治以降虐げられ、破壊され、力を失いましたが、熊野を再興した後に振り返って、今の熊野の隆盛があるのは逆に明治の苦難があったからだと言えるようにできたらなあ、と思います。

日本中の人たちの憧れの地であった熊野。 である今日、あらためて熊野再興への思いを強くします。

熊野再興のための鍵となるのが、湛増とわずかながらもつながりがあり、明治政府の神社合祀政策に敢然と立ち向かって熊野を守ろうと戦った南方熊楠です。

湛増が闘鶏を行って神意を占った闘雞神社の森を守ったのも熊楠でした。

熊楠の文章をもっと多くの人に読んでいただきたいと思って、口語訳を公開しています。とくに読んでいただきたいのが、神社合祀反対運動の最中に書かれた「神社合祀に関する意見」と「南方二書」。

写真は闘雞神社が所蔵する、湛増が所持したと伝わる鉄扇。