湛増忌に思う

湛増所持の鉄扇

本日5月8日は、歴史上最も有名な熊野別当・湛増の命日です。湛増は建久9年5月8日(1198年6月14日)に69歳で亡くなりました。

熊野は明治以降虐げられ、破壊され、力を失いましたが、熊野を再興した後に振り返って、今の熊野の隆盛があるのは逆に明治の苦難があったからだと言えるようにできたらなあ、と思います。

日本中の人たちの憧れの地であった熊野。 である今日、あらためて熊野再興への思いを強くします。

熊野再興のための鍵となるのが、湛増とわずかながらもつながりがあり、明治政府の神社合祀政策に敢然と立ち向かって熊野を守ろうと戦った南方熊楠です。

湛増が闘鶏を行って神意を占った闘雞神社の森を守ったのも熊楠でした。

熊楠の文章をもっと多くの人に読んでいただきたいと思って、口語訳を公開しています。とくに読んでいただきたいのが、神社合祀反対運動の最中に書かれた「神社合祀に関する意見」と「南方二書」。

写真は闘雞神社が所蔵する、湛増が所持したと伝わる鉄扇。

 

宗教は道徳と別のもの

南方熊楠と神秘主義

昨日の南方熊楠顕彰館の座談会「熊楠の神秘体験を読み解く-心理学、文学研究、宗教学などの立場から」で知ったことの1つ。

妖怪学の祖として知られる井上円了の霊魂論。

井上円了の著作をほとんど読んだことがなくて知らなかったのですが、井上円了の霊魂不滅論というのは「国民を挙げて国家のために一身を犠牲にする覚悟を養」うための政治的、国家的なものだったのですね(「霊魂不滅論」『井上円了選集』第十九巻)。

日清戦争と日露戦争の狭間の明治32年(1899年)に井上円了が論じた「霊魂不滅論」。

井上円了の言説に対して南方熊楠は批判的です。

ラサレにありし鈴木大拙、かつて書を寄せて事を論ず。その中に宗教は道徳と別のものなり、このところ不可言の旨なりという。このことまた大いに味あり。到底行なわれぬことながら、わが邦の愛国とか忠君とかいうことを喋々する仏僧などの一針と思う。たれか妖怪学とかを唱えて、忠君愛国の資となさんといいし人もありしやに思う。
(土宜法龍宛書簡、明治三十五年三月二十二日付『南方熊楠全集)第七巻)

熊楠は国家的なものよりも、ローカルなものを、あるいは個的なものを大切にしていたように思います。

宗教や霊魂や妖怪は道徳とは別にあるもの。

「宗教は道徳と別のもの」だという鈴木大拙の言葉は、宗教が国家の道徳と結びついて戦争協力を行ったことに対する痛烈な戒めです。

5月13日は第27回南方熊楠賞授賞式!

南方熊楠賞授賞式

5月13日は第27回南方熊楠賞授賞式が開催されます! 授賞者は生態学者の加藤真氏。
http://www.minakata.org/cnts/jusyou/index.cgi?v=113900&p=0

この5日後の5月18日が熊楠の150回目の誕生日♪

南方熊楠賞授賞式

加藤真氏のコメント。

神社合祀令に敢然と戦った熊楠の姿は常に心にあり、辺野古の海の埋立や原発の再稼働、ダム建設、リニア新幹線計画など、この列島の豊かな自然を半永久的に蝕む愚かな計画の非を、彼だったらどう訴え、どう行動するだろうと、考えさせられています。

加藤真氏の記念講演「共生で織り込まれた自然、共生が創りだす生物多様性」がとても楽しみです!