第27回南方熊楠賞授賞の加藤真氏のご著書『生命は細部に宿りたまう ミクロハビタットの小宇宙』を購入しました。
ぱらぱらとページをめくって少しだけ読みましたが、ほんの数ページ読んだだけで、この本の著者が熊楠賞にふさわしい人物であるということがわかりました。
この本の「はじめに」に以下のような文章があります。
小さき生物たちが利用している特殊な微環境はミクロハビタット(微小生息場所)とよばれている。鳥の目で見下ろせるような大きな生態系それぞれの中に、あるいはそれら生態系の境界に、多様なミクロハビタットが存在しており、そのようなミクロハビタットの多様性が景観レベルの生物多様性に大きな貢献をしている。しかとは見えないさまざまな生物が共存する世界に、私たちは強い畏怖の気持ちをもっていて、その直感に忠実に、鎮守の森や御嶽の森を残してきたのだろう。
(加藤真『生命は細部に宿りたまう ミクロハビタットの小宇宙』岩波書店、ⅵ頁)
これは熊楠の「わが国特有の天然風景はわが国の曼陀羅」であろうという考えにつながることだと思います。
日本の天然の風景の中に身を置いていると、自ずと邪念が払われ、善悪を離れた仏の悟りの境地をなんとなくぼんやりとながら感じることができるのだと熊楠は述べています。
日本の天然の風景である神社の森にはさまざまな生物が、互いに影響を与えあい、複雑に関連しあって棲息しています。その森のあり方は仏の悟りの境地を表現する曼陀羅のようであり、だからこそ森にしばし身を委ねることで人は仏の悟りの境地の一端に触れることができるのだ、と熊楠はいいます。
さまざまな生物が共存する世界に強い畏怖の気持ちをもつというのと、日本の天然の風景の中で仏の悟りの境地の一端に触れることができるというのは、同じようなことを言っているのではと思いました。
また私が何気なく読みとばしていた熊楠の文章の一文にもじつはものすごいことが書かれているのだということにも気付かされました。それがこの一文(私による口語訳)。
たとえば、岩窪1尺四方ばかりのうちに落葉が落ち重なっているところに、ルリシャクシャクジョウ、ヒナノシャクジョウ、オウトウクワとホンゴーソウ、また Xylaria filiformis と思われる硬嚢子菌が混生する所がある。
(「南方二書」口語訳)
『生命は細部に宿りたまう』の「7 森の聖域」に書かれていたことから、上の熊楠の文に補足説明を加えてみます。
- 30cm四方に、ルリシャクシャクジョウ、ヒナノシャクジョウ、オウトウクワ(※キヨスミウツボ)とホンゴウソウ。この4種は光合成しない無葉緑植物。
- キヨスミウツボはアジサイ類やマタタビ類などに寄生する植物寄生植物。
- ルリシャクシャクジョウ、ヒナノシャクジョウ、ホンゴウソウの3種は菌類から養分をもらって生活する菌寄生植物。
- 滅多に遭遇できないこれらの植物が30cm四方のなかに生えているという熊野の森の豊かさ。
- 豊かな森はその土壌中に、極めて多様で豊穣な菌根菌(植物の根と共生する菌類)の菌糸のネットワークがある。
- Xylaria filiformis はマメザヤタケの一種。
こうして説明が入ると、あらためて当時の熊野の森のすごさがわかります。
「南方二書」はもともとは帝国大学理学部植物学科教授の松村任三氏に宛てた2通の書簡なので、植物に知識のない人にはやはり伝わらない部分があります。
……徹底して斧鉞を入れぬ深い森林が貴重である理由は、菌類をはじめとする土壌中の微生物の未知の多様性とそのネットワークにある。熊野の森を守ろうと奔走した熊楠が、社寺林の伐採だけでなく、下層植生の切り払いや、落葉の掃除をすることに強く異議を唱えたのは、ほんとうに貴重な自然の本質を直感的に理解していたからに違いない。
(加藤真『生命は細部に宿りたまう ミクロハビタットの小宇宙』岩波書店、99頁)
5/13の授賞式での記念講演が楽しみです。そして、その5日後の5/18が南方熊楠の150回目の誕生日!
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