明日6月3日は山本玄峰(やまもと げんぽう)老師の命日。
玄峰老師は、太平洋戦争終結に尽力した熊野出身の禅僧です。
玄峰老師の名は知らなくとも、太平洋戦争における日本の降伏を国民に伝えた玉音放送(1945年8月15日)の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という言葉は誰もが聞いたことがあることと思います。
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言は、玄峰老師が鈴木貫太郎首相に宛てた書簡の一節から取ったものだと言われています。玄峰老師は鈴木首相に無条件降伏を勧め、鈴木首相はそれを受け入れました。
また戦後の象徴天皇制も、天皇をどうするかで悩んでいた新憲法の制定委員会が玄峰老師の示唆を受け入れて作り出されたものだといわれます。
日本人は天皇陛下万歳と言って死んでいく。天皇を除かなければ世界から認められない。しかし天皇を除けば日本国民がアメリカに反抗する。そうなればそれを口実にソ連が進駐してくる。そうした状況の中で天皇をどうしたらよいのか。
玄峰老師が示唆したのは、天皇は一切政治に関係しない、主権は日本国民にあり、天皇を国民全体の象徴とし、政治を担当する者は国民を象徴する天皇の気持ちを受けて政治を行うという形にしてはどうかということでした。
日本国および日本国民統合の象徴としての天皇のあり方を、平成の天皇陛下は即位したときからずっと模索し続けてこられたことと思います。
平成の天皇陛下は国民全体に寄り添うことで、社会的に強い立場にいる人々にだけでなく社会的に弱い立場にある人々や苦しんでいる人々、遠隔地に住む人々にも心を寄せることで、日本国および日本国民統合の象徴としての天皇の務めを果たそうとされておられたのだと思います。
5月1日に即位された新天皇陛下は「即位後朝見の儀」で次のように述べられました。
常に国民を思い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い,国民の幸せと国の一層の発展,そして世界の平和を切に希望します。
即位後朝見の儀の天皇陛下のおことば:天皇陛下のおことば – 宮内庁
将来天皇制がどうなるのかわかりませんが、象徴天皇制は玄峰老師によって皇室や日本国民に与えられた公案なのかもしれません。
玄峰老師の著書『無門関提唱』をパラパラめくっていたら天皇についてちらっと触れらているものが目に入ったので、紹介します(現代仮名遣いに改めています)。
そんなわけで、どんな大力量の人といえども思う通りの勝手次第なことはできない。……一条家の未亡人が来て、「天皇陛下だけの暮しを私どもがしたら、三日やったら病人になる」という。それくらいじゃ。きちっきちっと陛下だけの身の修まり方を三日やれば病人になる。だからすべて世の上に立つ者は、ことに出家僧侶など、したい放題してはとうてい社会からの尊敬を受けることはできない。人間はお互いに慎みを持たねばならん。
山本玄峰『無門関提唱』大法輪閣、231頁)
お墓は和歌山県田辺市本宮町渡瀬にあります。
命日の6月3日には玄峰老師毎歳忌法要が出身地である湯の峰にて玄峰老師頌徳会の主催により営まれます。湯の峰温泉、東光寺前の玄峰塔の前にて午前10時から。