1人1人の心の中の世界遺産

世界遺産登録推進講演会

3月28に開催された世界遺産登録推進講演会。

第1部は、和歌山県世界遺産センターセンター長の辻林浩氏による「世界遺産登録の目的と異議」。とてもよいお話でしたので、私のメモ書きのようなものをここに。

世界遺産になれるのは、国際的な見地から見て価値のあるもの。国家にとって価値のあるものというのではなく、国際社会にとって価値のあるもの。熊野古道には国宝も国指定の重要文化財も少なかったが、世界的な価値があると認められて世界遺産になれた。

世界遺産になれるのは不動産だけ。将来移動する可能性のあるものは世界遺産になれない。その土地にあるもの、その土地を離れては成り立たないものだけが世界遺産になれる。

世界の平和に貢献するのが世界遺産の意義。

ユネスコ憲章(前文の一部)
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。
ここに終わりを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人種の不平等という教養を広めることによって可能にされた戦争であった。

1人1人が心の中に世界遺産を持っていることが大事。

文化が多様であること。文化の多様性をどう残すか。

今よりももっとよくして残していく。

世界遺産の目的は、世界的に価値のあるものを残すこと。

世界遺産の意義は、人によって色々なので、たくさんある。

以下は私の思ったこと。

1人1人が心の中の世界遺産を持つというのは、いい言葉だと思いました。

世界遺産は土地と結びついたもの。自分がこの土地でしていることには世界的な価値があり、それは世界の平和に貢献するものなのだという、自分自身と自分が住んでいる場所へのプライド。

それが1人1人の心の中の世界遺産、かな。

熊野の未来にとって熊野古道「大辺路」の活用が重要な鍵

熊野古道大辺路意見交換

今年1月にfacebookに書いた文章ですが、メモ代わりにこちらにも。

先日(1月16日)、熊野古道「大辺路(おおへち)」についての意見交換会に参加させていただきました。
http://www.agara.co.jp/news/daily/?i=308296

熊野地方の未来にとって、大辺路の活用が重要な鍵となります。

私は熊野を世界的な観光地・世界的な聖地にしたいと考えていますが、それは熊野三山だけが世界的な聖地になればいいということではなく、熊野全体を世界的な聖地にしたいということです。

熊野三山だけが熊野ではありません。

かつての熊野は浄土信仰で人々を惹き付けてきました。そこに行けば極楽往生が約束されると。

しかし今、浄土信仰だけで大勢の人々を惹き付けることができるとは思えません。

「蟻の熊野詣」を再び起こすには、熊野の側も変化していくことが必要です。

いま世界に求められていること。

それは自然との共生と、異なる宗教・異なる文化の共生ということではないかと思います。

熊野信仰の土台の部分には自然崇拝があり、また神道と仏教という異なる宗教を共存させることによって熊野信仰は盛んになりました。

明治政府の神仏分離や神社合祀の政策によりそれらは破壊されましたが、それでもそれらの痕跡は熊野の各地に残されています。

自然崇拝の痕跡、神仏習合の痕跡は、熊野三山よりもむしろ熊野各地にある無社殿神社や社寺でより強く感じることができます。

自然との共生と、異なる宗教・異なる文化の共生というメッセージを世界に伝えるには、熊野三山だけでは弱く、熊野各地にある今は世界的には名も知られていないような小さな聖地の力が必要だと私は考えます。

熊野各地にある小さな聖地を訪れてもらうためには、熊野古道「大辺路」を田辺から那智・新宮まで通して歩けるようにすることが、大きなきっかけ作りとなります。

いまブツブツに途切れた状態の熊野古道「大辺路」を、田辺から那智・新宮まで通して歩けるようにすること。外国からの方でも歩けるようにすること。

熊野地方の未来は、熊野古道「大辺路」を充分に活かすことができるかどうかによって、変わっていくように私は思います。

熊野牛王の裏面に誓約文を筆で書く体験プログラムなんてあったらどうかな?

熊野牛王(新宮)

NHK大河ドラマ「真田丸」の2月28日放送の第8回にも熊野牛王が登場しました。この回では北条氏政から春日信達へ送られた誓紙に那智の熊野牛王が使われました。
http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/story/story08.html#mainContents

上の写真は熊野那智大社のではなく熊野速玉大社の牛王。那智の熊野牛王はこちらの記事で

牛王とは、神社や寺院が発行するお札、厄除けの護符のことです。
様々な寺社から発行されていた牛王のなかでもっとも神聖視されていたのが、熊野の牛王でした。とくに武将の盟約には必ずといっていいほど、熊野牛王が使われたそうです。

牛王は厄除けのお札としてだけでなく、裏面に誓約文を書いて誓約の相手に渡す誓紙としても使われてきました。牛王によって誓約するということは、神にかけて誓うということであり、もしその誓いを破るようなことがあれば、たちまち神罰を被るとされていました。

熊野のお宿などで、熊野牛王の裏面に誓約文を筆で書くという体験プログラムなんてあったらどうかな。

その誓約文は、誰かに対しての誓約でなくて、自分自身への誓約でいいと思います。

神社で何か願い事をするというのは、それは自分自身がそれを行いますという自分自身と神様への誓約です。自分自身が何もせずに神様が勝手に叶えてくれるというようなことはないと思います。

自分はこういうことを行うんだという誓いを文章にして熊野牛王の裏面に書く。

それも名品として知られる那智黒石の硯で、熊野の山里に甦った幻の松煙墨を摺って。

筆は、熊野地方にはなさそうなので、熊野信仰でつながっている広島県熊野町の、やはり名品として知られる熊野筆を使って。

書くときにすごい緊張しそうだけれど、お客様にとってとてもいい特別な体験になるんじゃないかな。

どうかな。

熊野牛王について詳しくはこちら