先日開催した新宿熊野ツアーで訪れた場所2つ目は、東京都中野区本町にある多宝山成願寺。中野長者開基のお寺です。
室町時代、当時原野であった中野や新宿の地を開拓したのが、熊野で祭祀を務めた家柄の血筋を引く鈴木九郎という人物。
鈴木九郎は紀州藤代から移住し、当時は漠然と中野と呼ばれていた原野を切り開き、田畑を耕し馬を育てて成功し、大富豪となりました。
「中野長者」と呼ばれるようになった鈴木九郎は、邸宅から少し離れた所にある森に熊野神を勧請し、熊野神社を創建しました。それが今の新宿の総鎮守である十二社熊野神社(じゅうにそうくまのじんじゃ)です。
鈴木九郎は娘の死をきっかけに出家し、十二社池(じゅうにそういけ)の畔にお堂を建てました。これが成願寺の始まりで、その後、江戸時代に旧九郎邸に移されました。
開基、中野長者鈴木九郎のお墓。
成願寺は十二社熊野神社の別当寺として神社を管理しましたが、明治の神仏分離によって神社と寺院がそれぞれ別々に運営を行うようになりました。
鈴木九郎が中野長者と呼ばれるほどの大富豪となるきっかけとなったのが、当時宋の国で鋳造されていた正式な通貨で日本ではごく珍しくありがたいお金であった大観通宝(たいかんつうほう)でした。
あるときに馬を売って受け取ったお金がすべて大観通宝であったので、それをすべて浅草の観音様に納めたのが、鈴木九郎が富を得るきっかけとなりました。
成願寺の歴史 – 中野長者の寺 多宝山成願寺http://www.nakanojouganji.jp/rekisi.html