集英社インターナショナルさんに『外道クライマー』につ
以下が送った文章です。
熊野地方在住の者です。
宮城公博氏の『外道クライマー』を読んで気になることがありましたので、意見を送らせていただきます。
『外道クライマー』はネットの書店で購入しましたが、カートに入れてから注文を確定するまで本当に買うのかどうか迷いました。
那智の滝の岩壁を登った事件のことを思い返すと、今でも怒りがこみ上げてきます。しかし、地域の人たちの暮らしや信仰に敬意を払わない人たちにどう向き合ったらいいのかを考えなければいけないと思い、購入しました。
熊野地方にかつて多くあった滝や岩や木や森をご神体とするような無社殿神社は、明治時代には原始的な未開な信仰と見なされて、そのほとんどが潰されました。
那智の滝をご神体とする飛瀧神社は、無社殿神社として熊野地方にわずかに残された大切な場所のひとつです。熊野地方を含む和歌山県と三重県では、地域の人たちの暮らしや信仰に敬意を払わない人たちによって、9割方の神社が潰されました。
私が宮城氏たちに対して感じる怒りは、明治時代の神社を破壊された氏子たちの怒りに似たようなものであろうと想像します。もちろん明治時代の氏子たちの怒りのほうがはるかに大きなものであったでしょうが。
『外道クライマー』は面白い本だと思います。読ませる文章ですし、宮城氏は頭のよい優秀な人物であるのでしょう。ネットの書店にあるレビューで評価が高いのも頷けます。
しかしながら犯罪の加害者が犯罪のことを文章にして公表するには被害者への配慮を十分にしていただきたいと思います。
第1章「逮捕!日本一の直瀑・那智の滝」で気になることがとりあえず2点あります。
1「宮司が生涯を捧げてきた那智の滝・地元新宮市の情熱の前では(22頁)」
地元新宮市?
2「私たちが登った日が那智大社の火祭りの日で、それが二〇一一年に紀伊半島を襲った大水害からの復興のシンボル的イベントだったことを事件後に初めて知った。(23頁)」
宮城氏たちが逮捕されたのは熊野那智大社例大祭の扇祭(那智の火祭り)の翌日だったはずでは?
当時の新聞では7月15日に逮捕と報じられていますが、那智の扇祭は7月13〜14日に斎行されます。
この2点は地元の人に読んでもらったらすぐに間違いを指摘してもらえるはずですが、この本の出版に当たって熊野那智大社にこのような本を出版しますと伝えていなかったのでしょうか?
ちょっとしたことかもしれませんが、被害者の立場からするとそれらの言葉に一々いらだちを覚えます。
那智の滝があり、熊野那智大社がある那智勝浦町に触れずに、地元新宮市としたのはどういうつもりなのか。
扇祭の日に登ったとしたのは、そうしたほうがより那智の神様を冒瀆することになって面白いと宮城氏は考えたのだろうか。
こうしたところで被害者への配慮が足らないので、「もとより私たちは神を冒瀆しようなどという意図はなかった(23頁)」と書いていても、地域の暮らしや信仰を傷つけられた被害者の立場からしてみれば、まったく信用できないと思ってしまいます。
今後さらに版を重ねることがあるとしたら明らかな間違いは訂正していただきたいので、よろしくお願いいたします。