オンラインサロンでの回答についての訂正

オンラインサロン「みんなの森のサロン」様で「森と熊楠」をテーマにゲストとしてお話させていただいときに、お話したことに関して一つ訂正があります。

ご質問に対する回答で熊楠が護身用に鉄アレイを枕元に置いていたというようなことをお話しましたが、それは私の記憶違いでした。

私はいざというときは鉄アレイを武器に戦うというようなことだといつの間にか思っていたのですが、正しくは、鉄の棒で毎日鍛えているから襲われてもなかなか負けないよ、ということでした。お詫びして訂正いたします。

那智山濫伐の姦徒は本月三日裁判のところ、何か訳あり、二十一日とかに延び候由、花井卓蔵弁護に来る由なり。かの巨魁津田というのはなかなかの姦雄にして子分多く、その中には生死知らずの者多し。故に小生、事により襲わるるも知れず候。しかるに小生また大武力あり、三十余斤の鉄棒を昼夜牀頭に置き、毎日一上一下上三下四と稽古しおれば、なかなか三、四人ぐらいのものにまくること成らず、ここが見物なり。いわんやこの辺の漁民、仲仕、人足、小百姓、博徒、みな子分なれば、いよいよ襲撃とならば、これこそ見物ならん。

柳田國男宛書簡、明治44年10月16日付『南方熊楠全集8巻』平凡社

熊楠は柳田國男に宛てた書簡の中で「那智山伐採を目論んだ悪者の子分に襲われるかもしれないが、小生には大武力がある。三十余斤(18kg以上)の鉄の棒を寝床のそばに置き、毎日上げ下げして稽古しているので、なかなか3〜4人ぐらいの者には負けない。ここが見物だ」というようなことを書いています。

熊楠はこの後さらに「ましてや、この辺の漁民、仲仕(なかし:港などで船の貨物をかついで運ぶ作業員)、人足、小百姓、博徒、みな小生の子分なので、いよいよ襲撃となれば、これこそ見物であろう」と続けています。