100年ほど前のスペインかぜ(スペインインフルエンザ)の1回目の流行期、和歌山県三里村(現・田辺市本宮町)では医師が感染して死亡し、医療崩壊を起こして「ただ拱手死を待つの状態にて全村悲惨の状態」に陥りました。
熊野田辺の地方新聞『牟婁新報』の記事より。
東郡三里村方面も近頃悪性感冒襲来し、別項の如く中村医師もこれがため逝去せしが何分の交通不便の地とて医師を迎うるも容易ならず、売薬も品切れとなり、蚯蚓(ミミズ)や牛の角なんどを服用しつつただ拱手(きょうしゅ:手をこまねいて何もしないでいること)死を待つの状態にて全村悲惨の状態紙筆の外なり。
大正7年(1918年)12月5日付『牟婁新報』
スペインかぜのときは熊野各地で医療崩壊が起こりました。
那智村(現・那智勝浦町)の状況
医療崩壊した地域では普段であれば助けられる病人や怪我人も助けられなくなります。
今のところ新型コロナウィルス感染症の被害の小さな東アジアの中においては、日本は感染者数も死亡者数も多い状況。
スペインかぜのときのようなことにはなりませんように。