スペインかぜ1回目の流行期の熊野地方の学校の状況

大正7年(1918年)11月7日付『牟婁新報』
大正7年(1918年)11月7日付『牟婁新報』

およそ100年前の1918年から1920年にかけて世界各地で大流行したスペインかぜ(スペインインフルエンザ)。世界人口の4分の1が感染し、世界で推計4000万人が死亡。日本では3回の流行があり、38万人が死亡しました。

ここでは1回目の流行期の熊野地方の学校の状況を田辺の地方新聞『牟婁新報』の記事を引き写してご紹介します(不二出版の『牟婁新報〔復刻版〕』第29巻より。旧漢字・旧かな遣いは当用漢字・現代かな遣いに、漢数字は算用数字に、一部漢字をひらがなに変更、句読点を追加)。

大正7年(1918年)11月7日付

学校と感冒

悪性感冒はますます猛烈の状況にて新宮中学は生徒382名中患者145名の多きに達し、職員中にも8名の患者あり。よって2日より3日間臨時休校を為せり。また同地高等女学校は3日より6日まで臨時休校を為せりと、患者は約30名位あらんと聞く。さて
◆田辺中学は如何と聞くに昨日午前8時には生徒患者数75人あり。
1年 12人、2年 18人、3年 29人、4年 15人、5年 1人
◆高等女学校は幸いにわずかに1人の患者のみなるが、
◆実業学校は昨午後3時まで何らの報告に接せず。
◆田辺小学校は4日は患者142人、5日は218人なりしに昨日午後3時には284人に激増せり。本日から向う4日間臨時休校のよし。

大正7年(1918年)11月7日付『牟婁新報』

大正7年(1918年)11月9日付『牟婁新報』

中学校休業

田辺中学も感冒患者今や107名の多きに達し(内5名職員)、なお蔓延の兆しあるをもって五年級を除く外は来る16日まで全部休業に決せり。5年級のみは今9日より登校する事なるが昨朝喜多幅校医は予防及び療法について一場の講話を為せり。その時の一句、
 インフルはエンサカほいの上り坂 押す人もありひく人もあり
ドウカ押し切る工夫をしたいものなり。

大正7年(1918年)11月9日付『牟婁新報』

スペインインフルエンザは今のCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)に比べたらはるかに感染者数も死亡者数も多いですが、学校は3日や4日、1週間程度の休校で対処していたのですね。

患者の隔離、接触者の行動制限などは行いましたが、感染して生き延びた人たちが抗体を獲得して集団免疫を形成することによってスペインインフルエンザは収束しました。ワクチンや抗ウィルス薬もない時代、それ以外に収束のさせようがありませんでした。