スペインかぜの2回目の流行期の熊野の様子

牟婁新報

およそ100年前の1918年から1920年にかけて世界各地で大流行したスペインかぜ(スペインインフルエンザ)。世界人口の4分の1が感染し、世界で推計4000万人が死亡。

日本では3回の流行があり、38万人が死亡しました。

日本におけるスペインかぜの1回目の大流行は1918年10月から1919年3月にかけて。2回目が1919年12月から1920年3月。3回目が1920年12月から1921年3月。

1回目の流行では南方熊楠やその妻子も感染しましたが、ここでは2回目の流行期の様子を熊野・田辺の地方新聞『牟婁新報』の記事でご紹介します(不二出版の『牟婁新報〔復刻版〕』第32巻から引き写し。旧漢字・旧かな遣いは当用漢字・現代かな遣いに変更、一部漢字をひらがなに変更、句読点を追加)。

大正9年(1920年)1月21日付

牟婁新報
牟婁新報 大正9年(1920年)1月21日付

流感々々

▲学校の感冒
町立実業学校では昨今流感のため職員半数以上が欠勤し学生は??の???分?の欠席あり。ほとんど完全なる授業を行うことさえ能わず弱り切って居る。呼吸器の如きも実費をもって分配しつつあり。
和歌山市でも吹上小学及び師範附属小学は患者?出に閉口して十九日から休校。
師範学校も男子部?十五人、女子部十九人の患者あり。いずれも悪性のよしにて目下無?休校なり。

▲鮎川方面は
一昨十九日当警察署の芝巡査部長が岩田一之瀬朝来鮎川方面の流感状況を視察のため巡廻して帰ったが、その報告によれば該方面では目下のところ一人の流感患者無きも地方民は一般に警戒を怠らず、ただ上方地方に出で居れる者が流感に罹りて帰郷し来らんことのみ恐れ居る様子なりと。

大正9年(1920年)1月21日付『牟婁新報』

マスク流行

当町にても流感予防のため赤木恭三氏並びに瀧川増蔵氏等共同にて呼吸器(マスク)売り出したるが、はじめ一個十五銭くらいなりしを売れ行きの成績よかりしためか昨今二十五銭くらいにて売り出し居る様子なるに、一日二三百ずつ製作し居るもなお需要に応じ兼ね居れりと。斯様な品はなるべく安く売るが商業道徳なり。

大正9年(1920年)1月21日付『牟婁新報』

恐ろしい感冒

風邪と言えば必ず流行感冒であり、感冒にかかればほとんど肺炎を併発し、思いも寄らぬ人がバタリバタリと死ぬる実に恐ろしい事じゃ。どうか予防注射を忘れず、外出には口覆袋(マスク)を当てるよう、咳をするときはなるべく小さくするよう気をつけるがよい。

熱が出ても無闇に解熱剤を用いると心臓を弱くするからこれも注意せねばいかん。

肺炎は動かせばほとんど死ぬる。また肺炎を癒す医学的療法はまだ無いそうじゃ。ただ熱誠な看護のみが頼りである。

大正9年(1920年)1月21日付『牟婁新報』

大正9年(1920年)1月23日付

牟婁新報 大正9年(1920年)1月23日付

流感怖い

◇マスクの配布
◇予防注射
◇叶わぬ時の宮参り

田辺町では実業学校その他裁縫教員や女生徒諸君の活動で盛んにマスクを製作しつつあるが一個五銭か八銭くらいで手際よくこしらえ希望者へ配布して居るそうだ。

予防注射は果たして効果があるかどうかまだわからぬようじゃが、まずこれより外に安全な法がないとし続々やって居るが薬液欠乏で困って居る。

南富田村役場では今回マスクをこしらえて村内各戸へ一個ずつを無料で配布し、なるべくこれを使用することを奨励しつつもあるが、学校生徒の如きは全部用い居れる由。その他近野、栗栖川西の谷如きも近々一般に予防注射を施行したいと言って居る。

なお三栖村では青年会員等村民全般の無病安全を祈るため去る十八日百社詣でを行いたりとのこと。また同村大字上三栖では区長鈴木菊蔵氏はさらに区民の無事を祈りて十九日夜より向こう一週間の立願で毎夜毎夜村内を一?しつつ同村一倉神社に参拝しつつありとは篤?なり。

大正9年(1920年)1月23日付『牟婁新報』

大正9年(1920年)1月27日付

牟婁新報
牟婁新報 大正9年(1920年)1月27日付

流感と大阪
だいぶ下火になったこの次は田舎の山間部だとさ

二三日前大阪から帰ってきた某氏の談によれば大阪辺ではさすがに猛烈であった流感も近頃だいぶ下火になった様子で、盛んな時分には一日平均四百人にも近い死亡者を出して居ましたが、昨今では追々減じてようやく二百七八十人くらいのところまで下がったとの事。それから電車に乗る時には必ずマスクを使用せねばならぬという事?もあったが、それさえ今日この頃では各自思い思いで使ってる者もあれば使って居ない者も沢山ある。がしかしやっぱりお互いに予防上の注意は怠って居ない様子であると…

由来我が田辺地方は別?して悪疫の少ない地方である。昨年の流感の時分でも他地方に比してはすこぶる成績のよかった方であるから本年も願わくばお互いに用心してうまく免れたいものであります。ところが医学専門家の話によるととかくこの悪性感冒はまず都会を荒らしそれから段々田舎は這入り山間部を吹き回る前例もあるから今度の感冒も二月頃になると田舎の山奥に這入り込むのでなかろうかと心配して居る。どうか予防に御注意召され。

大正9年(1920年)1月27日付『牟婁新報』

大正9年(1920年)2月7日付

牟婁新報
牟婁新報 大正9年(1920年)2月7日付

咳の妙薬

悪性感冒もズッと下火になった様子であるので誠に結構です。そこで少々遅れましたが、ここにちょっと咳の妙薬をお知らせします。これは悪性に限らず普通の風邪にもよく効くそうだから皆さん覚えて置いて下さい。それはイナゴの陰干を煎薬にして服むのだそうです。もしイナゴが手に入らない時はその代わりにカマキリでもよいそうだ。大阪では今年の感冒期に助かった人はほとんどこれを服まなかった者はなかったというくらいだそうである。仮に効かないものとしても容易い妙薬だ。なお今日風邪で悩んでる人あらば早速試してみたまえ。

大正9年(1920年)2月7日付『牟婁新報』