本日3月5日は巫女の日。
明治時代、政府は近代化の名の下に日本の文化の破壊を押し進めました。巫女も新時代の神社には不要のものとされ、明治6年(1873年)の「梓巫市子並憑祈祷孤下ケ等ノ所業禁止ノ件」、いわゆる巫女禁断令により巫女による託宣や占いは禁止されました。
託宣や占いをするのが巫女でした。熊野の巫女も託宣や占いをしました。
熊野の巫女はかつてはイタと呼ばれました。熊野の神はイタを通して託宣を下しました。イタは神憑かりして神のお告げを伝えました。
那智には元々巫女はいませんでしたが、本宮や新宮では巫女の存在は重要であり、巫女から神託を受けることが参詣者の目的のひとつでもありました。
『保元物語』や『源平盛衰記』には熊野のイタが登場します。能の「巻絹」では熊野本宮の巫女が主役です。
そのような巫女は巫女禁断令以降、存在を許されなくなりました。
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