昨日は和歌山大学南紀熊野サテライトの学部開放授業のお手伝いで新宮の町歩き。
写真は訪れた場所のひとつで、新宮市名誉市民の大石誠之助の宅跡。
大石誠之助は明治政府によるでっち上げの「大逆事件」で死刑に処された明治時代の新宮の医師。オレゴン州立大学医科卒。
われの郷里は紀州新宮。
佐藤春夫「愚者の死」
渠の郷里もわれの町。
聞く、渠の郷里にして、わが郷里なる
紀州新宮の町は恐懼せりと。
当時大学生であった佐藤春夫が大石誠之助の死を悼んで書いた詩。
渠は首領。ここでは大石誠之助のこと。大石誠之助は佐藤春夫の父の友人でした。
この「大逆事件」は明治政府が社会主義者たちを一網打尽にするために仕組んだ謀略でした。そのフレームアップ(でっち上げ)を行う舞台として熊野の中核的な都市であった新宮の町が選ばれました。熊野は危険な場所だと政府に認識されていたのでしょう。
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大石誠之助宅の前には大石と甥の西村伊作が始めた洋食屋・太平洋食堂がありました。
大石は医師ですが、アメリカ留学時代にコックとして働いたことから西洋料理にも詳しく、コックとして新宮の町の庶民に西洋流の食生活の紹介もしました(太平洋食堂は1年ほどで閉店)。
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