本日12/29は南方熊楠の命日

南方熊楠の墓
南方熊楠の墓

本日12月29日は熊楠忌 。南方熊楠の78回目の命日。

南方熊楠は、明治から昭和の初期という日本が近代化に躍起になっていた時代にあって、世界を舞台に異能を発揮した在野の学者です。イギリスの科学雑誌『ネイチャー』への掲載論文51篇は、日本人最多で、世界でも最多だと考えられます。

熊楠の墓は田辺の古刹・高山寺にあります。高山寺に隣接してあった猿神社の森の伐採が熊楠が神社合祀反対運動に立ち上がるきっかけとなりました。

猿神社の森が伐採された後、変形菌研究の世界的権威である英国のグリエルマ・リスターに宛てた書簡に熊楠は次のように記しました(私による日本語訳)。

糸田の猿神に関しては、樹齢何百年のタブノキの保護どころの騒ぎではなく、この神社の神聖さを深めていたすべての木々が完全に姿を消したことを見つけてからの帰路、私は絶望で茫然自失したと言わなければなりません。風景は全く破壊されました。この国で近年日常的に行われているこの種の野蛮な行為は、ほどなく日本人の愛国的な感覚や美的な感覚の惨たんたる破滅という結果をもたらすように思われます。ラスキンやカーライルとともに、私は、現代の進歩が本当に人間のためになることであるのかどうか疑問に思います。

グリエルマ・リスター宛書簡、1909年2月19日付 山本幸憲編『南方熊楠・リスター往復書簡』(南方熊楠邸保存顕彰会)から日本語訳

これに対するグリエルマ・リスターからの返信は次のようでした(私による日本語訳)。

糸田の神社のまわりの貴重な森の無慈悲な破壊と風景の荒廃を残念に思う気持ちはあなたと共にあります。タブノキは私たちにとってよい友でした。国はじっとしていることができません。しかし「進歩」のためにそのような大きな代償を払わなければならないのならとても悲しいと私は思います。

グリエルマ・リスターからの南方熊楠宛書簡、1909年5月26日付 山本幸憲編『南方熊楠・リスター往復書簡』(南方熊楠邸保存顕彰会)から日本語訳

熊楠が100年ほど前にエコロギー(エコロジー)という言葉を使って行った神社合祀反対運動がどのような理由からなされたものであったのか、ぜひ「神社合祀に関する意見」や「南方二書」を読んでいただきたいです。

南方熊楠の墓
南方熊楠の墓