昨日、姫のことを話題にしたので、写真は、その姫の地名の元となった重畳山(かさねやま)からの眺め。
近隣の姫、姫川、古田、古座などの地名は、重畳山にある重山神社の祭神・瀧姫神に由来する名前だとされます。
写真中央辺りに写っているのは九龍島。その右の小さいのが鯛島。
重畳山から見ると、やはり九龍島は特別な島に見えます。
去年、「南方曼陀羅の風景地」の一風景地として国の名勝に指定された九龍島。
今から100年ほど前に、熊楠は田辺の町の人々に次のように訴えました。
田辺でも、「働いて儲けよ」と教えて居るが、ここらで働いてナニが儲かるか朝から晩まで働いてもナニほどの儲けもない。先ず働いて儲かって居るのは監獄位のものだ。商売は同商売が多く工業も盛んでなく、今の所格別これぞという儲口もあるまい。ただこの「風景」ばかりは田辺が第一だ。田辺人たるものはこの風景を利用して土地の繁栄を計る工夫をするがよい。今こそ斯様に寂しいが追々交通が便利になって見よ、必ずこの風景と空気が第一等の金儲けの種になるのだ。
(大正5年7月14日付『牟婁新報』「菌類学より見たる田辺及台場公園保存論 (七)」)
この地域は風景と空気で金儲けせよ、と。
熊楠は「風景」について以下のように述べています。
定家卿なりしか俊成卿なりしか忘れたり、和歌はわが国の曼陀羅なりと言いしとか。小生思うに、わが国特有の天然風景はわが国の曼陀羅ならん。……景色でも眺めて彼処が気に入れり、此処が面白いという処より案じ入りて、人に言い得ず、みずからも解し果たさざるあいだに、何となく至道をぼんやりと感じ得(真如)、しばらくなりとも半日一日なりとも邪念を払い得、すでに善を思わず、いずくんぞ悪を思わんやの域にあらしめんこと、学校教育などの及ぶべからざる大教育ならん。……無用のことのようで、風景ほど実に人世に有用なるものは少なしと知るべし。
(明治45年2月9日付白井光太郎宛書簡『全集』7巻、559頁)
日本の天然の風景の中に身を置いていると、自然と邪念が払われ、善悪を離れた悟りの世界をなんとなくぼんやりとながら感じることができる。日本の風景にはそのような効果があるのだと熊楠は述べています。
国の名勝「南方曼陀羅の風景地」のある地域は、ぜひとも南方熊楠を観光に活用していただきたいものです。