神島(かしま)についての動画をYouTubeに公開しました。
明日6月1日は南方熊楠が神島に昭和天皇をお迎えした日。
今から90年前の昭和4年(1929年)6月1日に、熊楠は昭和天皇にお会いしました。
変形菌学者でもあった若き昭和天皇が日本における変形菌研究の先駆者である熊楠から講義を受けることを望まれ、実現した最初で最後の二人の出会いでした。
神島は和歌山県田辺市の、田辺湾に浮かぶ無人島。その名の通り、田辺湾を鎮護すると漁民たちから信仰された神様の島。南方熊楠の神社合祀反対運動のシンボル的な場所です。
明治の末期から大正の初めにかけて、明治政府は神社を統廃合して神社の数を減らそうという神社合祀政策を推し進めました。熊野地方を含む和歌山県と三重県ではわずか数年の間におよそ90%の神社が潰されました。そして神社の森が伐採されました。
神社がどんどん潰されて、どんどん森が伐られていく、そんな最中に神社を守ろう、神社の森を守ろうと立ち上がった人物の1人が南方熊楠でした。
南方熊楠は田辺に暮らしながら世界を舞台に活躍した在野の学者です。世界に東洋学の権威として知られ、現在世界で最も権威のある科学雑誌とされる『ネイチャー』に掲載された論文の数は51篇。単著論文の『ネイチャー』掲載数としては世界最多、歴代最多だと言われます。日本の変形菌研究の先駆者でもあり、日本の民俗学や比較説話学の先駆者でもあった熊野が誇る偉人です。
近代西欧諸科学に東洋の学を拮抗させた若き熊楠の挑戦
南方熊楠英文論考「ネイチャー」誌篇 | 飯倉 照平, 松居 竜五, 田村 義也, 中西 須美 |本 | 通販 | Amazon
『ネイチャー』誌掲載論文全訳、そのほとんどが本邦初訳。26歳の処女論文「東洋の星座」からオランダ人東洋学者との「ロスマ」大論争まで、63篇収録(59篇初訳)。
熊楠は、神島を生態学エコロジーの研究にとてもよい模範的な島だと訴えました。
熊楠は神社合祀反対運動の中で ecology という言葉を使いました。今から100年以上前のことです。
エコロジーとは元々は日本語で生態学と訳される生物学の一分野です。今はその生態学的な知識を反映させた文化的・社会的・経済的な活動のこともエコロジーといいますけれども、熊楠が使ったエコロジーという言葉には学問としての意味しかありません。
エコロジーはまだ草創期にありました。エコロジー(生態学)にとって基本的な概念であるエコシステム(生態系)という言葉すらまだない時代でした。そのような時代に熊楠はエコロジーという言葉を使って神社の森を守るという自然保護運動を行いました。
熊楠が使ったエコロジーという言葉には学問としての意味しかないのですけれども、熊楠が行った神社合祀反対運動は活動としてのエコロジーの先駈けであると言ってもよいかと思います。
また熊楠は、湾内に魚が入ってきて湾内で漁業が行えるのはこの神島の森があるからだ、神島の森は魚付き林で、地域に経済的な利益をもたらしてくれる大きな財産なのだとも訴えました。神島の森は、生態学の研究にとって大切なだけでなく、地域経済にとっても大切なものでした。
当時の漁民たちには、魚は緑が好きだから海岸や島に森に残したら魚がそばにやってくるんだ、というある種の信仰のようなものがありました。漁業を続けていくには海岸に森を置いておかなければならないんだという、海と森の生態系のつながりを漁民たちは直観的に理解していました。
森を保全することがお金を稼ぎ続けるためには必要なのだ、自然を保全することでお金を稼げるんだという考え方はいま、とても重要になっていると思います。
神島は神社としては潰されていましたが、熊楠や住民たちの訴えにより森だけは魚つき保安林として保護されることとなりました。
昭和天皇が熊楠から生物学の講義を受けることを希望されたときには、熊楠はこの神様の島に昭和天皇をお迎えしました。
神島にはその時の昭和天皇の行幸を記念して建てられた記念碑が今も立っています。その記念碑には熊楠が詠んだ歌が刻まれています。
「一枝もこころして吹け沖つ風わが天皇のめでましし森ぞ」
その後、神島は国の天然記念物に指定されました。現在は立ち入り禁止。上陸には田辺市教育委員会の許可が必要です。近年、国の名勝「南方曼陀羅の風景地 」にも指定されました。
田辺湾内で目ぼしい処は、何といっても神島だ。すでに神島と名づく。この島の神が湾内を鎮護すると信ぜられたるの久しきを知るべし。
「紀州田辺湾の生物」『南方熊楠全集』六巻、平凡社
このほか実に世界に珍奇希有のもの多く、昨今各国競うて研究発表する植物棲態学 ecology を、熊野で見るべき非常の好模範島なるに、……終にこの千古斧を入れざりし樹林が絶滅して、十年、二十年後に全く禿山とならんこと、かなしむにあまりあり。
柳田國男宛書簡、明治四十四年八月七日付『南方熊楠全集』八巻、平凡社
たとえば今度御心配をかけし当田辺湾神島のごときも、千古斧を入れざるの神林にて、湾内へ魚入り来るは主としてこの森存するにある。これすでに大なる財産に候わずや。
松村任三宛書簡、明治四十四年八月二十九日付『南方熊楠全集』七巻、平凡社