昨日5月20日、文化庁により西国三十三所観音巡礼が「1300年つづく日本の終活(しゅうかつ)の旅~西国三十三所観音巡礼」として「日本遺産」に認定されました。
西国三十三所観音霊場、第1番札所の那智山青岸渡寺は明治の神仏分離で仏像仏具が他所に移され、一時は空堂となったお寺です。
明治元年(1868年)明治新政府は神仏習合を禁じるために神仏分離令を発しました。那智でも仏堂を廃しました。社殿に隣接し、西国三十三所霊場の第一番札所でもある如意輪堂は、さすがに取り壊しはされませんでしたが、仏像仏具類は補陀洛山寺などに移され、空堂とされました。
如意輪堂はその後、明治7年(1874)に神社側から独立し、「青岸渡寺」と名を変えて天台宗の一寺として再興しました。
つまり西国三十三所霊場の第一番札所が失われていた時期が数年間あったということです。
明治政府の行った神仏分離は日本の文化・伝統の破壊でした。
如意輪堂は幸い再興することができましたが、「1300年つづく日本の終活の旅」のスタート地点が危うく失われるところでした。