なぜ熊野は日本の聖地になったのか 追記、神仏習合について

なぜ熊野は日本の聖地になったのか、その要因を前回の記事で3つ上げました。

私が考える要因は主に3つ。
1. 京から見て南の果てに位置すること
2. 京から遠いが、なんとか歩いていける距離であること
3. 修験道の一大拠点となったこと

ここで上げなかったけれども、重要な事柄の1つに神仏習合があります。
修験道は仏教のうちの密教と関わりの強い宗教であり、神仏習合は修験道の一大拠点となったこととひとつながりのことです。

ですので前回神仏習合については触れなかったのですが、神様と仏様を一体のものとしてお祭りする神仏習合を熊野が積極的に受け入れたことも熊野が日本第一の聖地となった要因です。

本宮は阿弥陀様の西方極楽浄土であるとされ、新宮は薬師様の東方浄瑠璃浄土であるとされ、那智は観音様の南方補陀落浄土であるとされました。

熊野全体が浄土の地とみなされ、熊野は日本中の人たちがそこに行きたいと憧れる日本の聖地となりました。

平安時代末期に上皇たちを熊野に連れてきたのは修験道であり、鎌倉時代末期から室町時代にかけて熊野信仰を全国に広めてくれたのは時衆という浄土教系の仏教の一派であり、戦国時代から江戸時代にかけて熊野を支えたのは熊野比丘尼と呼ばれた尼僧でした。

神仏習合なしに熊野が日本の聖地になることはありえなかったでしょう。