和歌山県那智勝浦町下里にある下里古墳。
熊野地方唯一の前方後円墳です。
前方部はすでに削り取られていて円墳のように見えます。
築造時期は4世紀末〜5世紀初頭(古墳時代中期)頃と推定されます。その頃、下里の辺りが熊野国(大化の改新後に紀伊国に併合)の中心的な場所であったのでしょう。
前方後円墳は、地方の首長たちがヤマト王権と同盟関係を結んだり支配されたりした結果、全国に普及した古墳の形だと考えられるので、「地理的に大和の近くであるにもかかわらず、時期的に前方後円墳を構築するのが遅い。容易に同盟しなかったのでは」との説もあります。
熊野には丹敷戸畔(ニシキトベ)という女性の首長がいて、神武の軍勢と戦ったとされますし、熊野の人々はヤマト王権との同盟を長らく拒んだのかもしれません。
下里古墳に葬られているのは丹敷戸畔より後の熊野国の首長かな? その首長は男性だったのか女性だったのか。ニシキトベの伝承を残す地域としては女性首長が被葬者であってほしいなと思います。
那智勝浦町文化協会創立20周年記念の文化講演会「下里古墳から分かること」、10月14日(日)、那智勝浦町体育文化会館にて開催されます。