南方熊楠ゆかりの地紹介。第4回目は和歌山県田辺市にある日吉神社。
千代田区立日比谷図書文化館にて開催される「ジャパニーズ・エコロジー 南方熊楠ゆかりの地を歩く」の写真展・ポスター展(5月22日〜6月17日)、シンポジウム(6月14日)に向けて熊楠ゆかりの地を紹介しています。
礒間の日吉社、御子浜の神楽社は、これに中入するに奇橋岩を以てし、田辺湾中第一の絶景なる上、上出如き珍異の生物少なからず。
(「楠見郡長に与る書 (下)」明治42年10月3日『牟婁新報』)
熊楠が「田辺湾中第一の絶景」と称賛した、礒間の日吉神社と御子浜の神楽神社と鬼橋岩と、礒間浦がそこに生み出す風景。
行く行くこの辺へ都会の人士来たりて観光する時の奇賞はこの間に集まるべきなり。
(「神島のバクチの木に関する補遺、及び天然記念物保護」明治44年8月9日付『牟婁新報』)
日吉神社から神楽神社にかけての辺りがこの地域の観光の見所となるだろう、と熊楠は考えていました。
この日吉神社も熊楠たちの合祀反対の抗議のおかげで守られた神社です。
猴神の古社あって今は日吉神社と号し、先年合祀さるるところを予輩烈しく抗議して免れた。
(「紀州俗伝」『南方熊楠全集2巻』平凡社、361頁)
神仏分離以前の社名は山王権現社。
土地の人々には「猿神さん」と呼ばれ、お祭りにはお猿の神輿が出ます。
道中より青年団のお猿さん、獅子舞、子供神輿、鼓笛隊が前後について最高潮の賑いとなり見物人が大勢つめかける。お猿と獅子と神輿が乱舞交錯、練り続き3時すぎ神輿は宮へ還幸す。
(『和歌山県神社誌』和歌山県神社庁、339頁)。
以前はこの猴神の祭りへ日高郡等遠方から農民おびただしく参詣した。「さるまさる」と言うて、猴を農家で蕃殖の獣として尊ぶのだそうな。
(「紀州俗伝」『南方熊楠全集2巻』平凡社、361頁)
遠方からおびただしく農民が集まったというこのお祭りも、熊楠がいなければ失われていたところでした。
お祭りは昔は12月の申の日に行われましたが、現在は11月3日に行なわれます。
写真展・ポスター展の写真は、CEPAジャパン代表で公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員の川廷昌弘さんが撮影したもの。私が現地のご案内をしました。
このブログに掲載している写真は私が撮影したものです。