先日久しぶりに玉置神社にお参りしました。
南方熊楠も玉置神社をお参りしたことがあり、熊楠の文章から玉置神社についての部分を抜き書きします。
大和吉野郡十津川の玉置山は海抜三千二百尺という。予も昨秋末詣りしが、紀州桐畑より上るは、すこぶる険にして水なく、はなはだしき難所なり。頂上近くに大いなる社あり。
その神狼を使い者とし、以前は狐に付かれしもの、いかに難症なりとも、この神に祈り蟇目(ひきめ)を行なうに退治せずということなく、また狐人を魅(ばか)し、猪鹿田圃を損ずるとき、この社について神使を借るに、あるいは封のまま、あるいは正体のまま渡しくれる。
正体のままの場合には、使いの者の帰路、これに先だち神使狼の足跡を印し続くるを見、その人家に達する前、家領の諸獣ことごとく逃げおわるという。
また伝うるは、夜行する者、自宅出づるに臨み、「熊野なる玉置の山の弓神楽」と歌の上半を唱うれば、途上恐ろしき物一切近づかず。さて志す方へ着したる時、「弦音きけば悪魔退く」まさとやらかすなり、と。前述、送り狼の譚は、これを言えるか。
社畔に犬吠の杉あり。その皮を削り来て、田畑に挿(さしはさ)み悪獣を避けしという。守禦の功、犬に等しという意か。
南方熊楠「小児と魔除」(『南方熊楠全集2』平凡社、118-119頁)