1週間ほど前に愛知県東栄町月地区の月花祭保存会さまから月花祭り開催中止を伝えるお葉書が届きました。残念ですが、今は仕方ないことだと思います。
今から思えば2018年12月に月花祭保存会の方々に奥三河の花祭熊野公演をしていただけたことは幸運なことでした。
花祭で最も重要視される鬼、榊鬼(さかきおに)の舞。その舞は大地に生命力や活力を吹き込みます。
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1週間ほど前に愛知県東栄町月地区の月花祭保存会さまから月花祭り開催中止を伝えるお葉書が届きました。残念ですが、今は仕方ないことだと思います。
今から思えば2018年12月に月花祭保存会の方々に奥三河の花祭熊野公演をしていただけたことは幸運なことでした。
花祭で最も重要視される鬼、榊鬼(さかきおに)の舞。その舞は大地に生命力や活力を吹き込みます。
和歌山県新宮市熊野川町畝畑から和歌山県田辺市本宮町請川へと続く山道。かつては県道であったこの道の一部を歩きました。
いつ頃まで県道だったのでしょうか。昭和の前半くらいまででしょうか。
谷沿いの道は歩きにくくなっていますが、それでも県道であっただけあって立派な道です。とはいえ今では歩く人もあまりいないので、山に慣れていない人が歩いたら途中で道がわからなくなる程度には荒れています。
畝畑の人たちは病気になるとこの道を何時間もかけて歩いて病院に行きました。
「それはね、昔の県道」と、かつて畝畑在住だった堀内正静さん、モトエさんご夫妻に教えていただいた。畝畑から北へ高瀬峠を越えて本宮町へ向かうルートである。「病人はみな、高瀬峠を越えて請川の医院に行った。そこしか医者がおらんかった」。
栂嶺レイ『誰も知らない熊野の遺産』ちくま新書、240頁
高瀬峠からだけでも請川まで直線の水平距離で6kmくらい。時速1kmで歩けるとして6時間。時速1.5kmだと4時間。畝畑も広いので家から高瀬峠までの距離もありますし、病人が峠を越えて何時間も歩いて病院に行っていたというのは今の感覚ではちょっと想像できません
昔の人の歩く力はすごいです。
道沿いに祀られているお地蔵さま。
昨日、半年ぶりくらいに県境を越えて訪れた七里御浜。7里、約28kmの御浜。
— てつ@み熊野ねっと (@mikumano) June 5, 2020
「みはま」は、神様のものであることを表す接頭語「み」+「はま」で、神様の浜を意味するのでしょう。
七里御浜が見えてきたとき、嬉しい気持ちになりました。 pic.twitter.com/7yyilQGP7m
七里御浜から眺める熊野灘。5ヶ月ほど前のこの自分のツイートを見ていて『帝都物語』を思い出しまた。
明治十一年九月。
荒俣宏「帝都物語異録 龍神村木偶茶屋」『帝都物語異録』原書房、10頁
その日、熊野灘の七里御浜は、見晴るかすかぎりひろがる淡い青の海面をいつになく波立たせていた。
白波が、飽きもせずに浜へ打ち寄せ、白いうさぎが群れるかのような波紋を残しては、沖へと引いていった。
保(やす)は大馬(おおま)の前浜を守る獅子岩の下に立って、熱心に沖を眺めつづけた。
帝都破壊を目論む魔神・加藤保憲の誕生の秘密が語られる短編小説「帝都物語異録 龍神村木偶茶屋」の冒頭。
まだ魔神・加藤保憲となる前の14歳の少年・保(やす)が七里御浜の獅子岩の下から沖を眺める場面から物語は始まります。
少年はこの後、鬼に出会い、導かれて、魔神・加藤保憲となります。