大逆事件の犠牲者・成石平四郎の「自助」と題されたコラムを(『牟婁新報』明治41年1月30日付より)。
一日予が愛姪行子、他より子猫を貰い来たって、予に名をつけよという。予沈思景考やや久しうして、遂に自助と命名す。自助とは吾徒のよく口にする自助の意なり。自助は吾徒の求めて欲する所なり。憐むべきかの労働者がもし一たび賃金制度の鎖を切断して自由に衣食を得るに到らばこれ自助の実現なり。
成石平四郎「自助」(『牟婁新報』明治41年1月30日付より)
ああこの子猫、彼に何の苦しみありや。彼はいま真に自由の境にあり。主人の苦痛、彼いささかの関係なし。主人の営々、彼毫も知る所にあらず。魚を欲すれば魚を喰い、飯を望まば飯を得、仮に子猫に犯せる罪のありぞとも猫には獄なし。子猫を見るや主人怒って火吹竹の飛ぶとき悠忽身を転じて、床下に散歩を試むればすなわち足る。人間果たしてこの自由ありや。自助いわくニャーヲ。
賃金労働をしなくても自由に衣食を得ることができるようになれば、それが自助の実現である、と。この文章が発表されたおよそ3年後の明治44年1月24日に成石平四郎は無実の罪で死刑に処されました。
たしかに自助の実現には衣食住が保障されていることが前提です。豊かな者もあり貧しい者もある社会で自助の実現するには豊かな者から貧しい者への富の再分配がなされる必要があります。
日本は1970年代初頭からは公共事業によって地方や低所得者層へ富の再分配を行ってきました。
土建国家モデルの本質は、地方と低所得者への雇用機会の提供を通じた再分配と減税による中間層への所得還付です。社会資本整備の名の下に地方と低所得者の雇用を創出し、都市中間層には現金をバラ撒くことで、再分配に納得してもらう。そして貯金をさせて万が一の時や教育・社会保障の自己負担に備えさせるのです。再分配にせよ、所得還付にせよ、前提にあったのは雇用です。「働かざる者食うべからず」ではないですが、働くこと、所得があることを前提にあまねくバラ撒くことで成立した社会保障のシステム。それが土建国家モデルでした。”稼ぎをセーフティネットにした社会保障のシステム”と言い換えても良いでしょう。
井上岳一『日本列島回復論 この国で生き続けるために』新潮選書、55〜56頁
しかしながら、そのような「土建国家モデル」は21世紀に入って終焉しました。これまでの富の再分配方法・社会保障のシステムが機能しなくなったにもかかわらず、政府は新たな富の再分配方法・社会保障のシステムを作りませんでした。
そのため、かつては「一億総中流」とまでいわれた格差の小さな社会を築き上げた日本でしたが、今では貧富の格差が拡大し、「上級国民」と「下級国民」とに社会が分断されつつあります。およそ3割の世帯が貯蓄ゼロ世帯となり、「稼ぎをセーフティネットにした社会保障のシステム」は成り立たなくなりました。
それに加えて今のコロナ禍です。コロナ禍により下級国民はさらに追い詰められています。
新たな富の再分配方法が作れないなら、その代わりに新たな社会保障のシステムを作り出す必要があります。
管新首相は就任会見で「目指す社会像は自助・共助・公助、そして絆だ」と述べましたが、いま政府が為さなければならないことは早急に新たな公助を作り出すことなのでしょう。