疫病にかかり重症となった僧がかつて行った熊野参詣の功徳で快復したという話が鎌倉時代の仏教説話集『雑談集(ぞうたんしゅう)』に収められています。
この僧が伝えることによると、梛の葉を兜につけた金剛童子(熊野神のひとつ)と思われるものが疫神と戦って命を救ってくれたとのこと。
熊野を参詣された方々にご加護がありますように。
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松岡明芳 – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる
本日3月21日は和泉式部忌。平安時代中期の歌人・和泉式部の命日とされる日。
和泉式部の歌で初めて勅撰集に採られたのは下記の歌。
くらきよりくらき道にぞいりぬべき遥に照らせ山のはの月
『拾遺和歌集』巻第二十 哀傷 1342
(訳) 性空上人のもとに詠んで遣わした歌。私はいま闇の世界を無明の世界に向かって進んでいるような気がします。どうか上人さま、はるか彼方からでも、あの山の端の月のように、私の足下を照らして導いてください。
源頼政に討たれた鵺の霊と熊野から京を目指す旅の僧が登場する世阿弥作の能「鵺(ぬえ)」では終曲部分に和泉式部の歌が引用されます。
旅の僧に救済を求める鵺の霊の心情を、引用されたこの歌が表現しています。
この歌は和泉式部の歌で初めて勅撰集に採られた歌。少女時代の作とされますが、罪障深い和泉式部がこの歌によって和泉式部は成仏したというお話もあります。
本日3月21日は和泉式部忌。
平安時代中期の歌人・和泉式部は伝説の世界では熊野と絵縁の深い人物です。生没年は不詳ですが、3月21日を命日とする伝承があります。
能に和泉式部の霊と、熊野信仰を全国に広めた鎌倉新仏教の一派「時衆」の開祖・一遍上人が登場する演目があります。
「誓願寺」という世阿弥作の演目で、あらすじは以下の通り。
熊野で熊野権現から夢告を授かった一遍上人は都に上り、誓願寺で「南無阿弥陀仏六十万人決定往生」と記した念仏札を配ります。そこへ1人の女が来て、念仏札の「六十万人決定往生」の文言に「60万人しか往生できないのか」と不審に思い、一遍上人に尋ねました。
一遍上人は「これは熊野権現から授かった『六字名号一遍法・十界依正一遍体・万行離念一遍証・人中上々妙好華』の四句の文の上の字を取ったものだ」と教え、念仏の功徳を説きました。
女は喜び、誓願寺の額を上人自筆の「南無阿弥陀仏」の六字名号に代えてくれと願い出ました。そして、女は「自分はこの寺に墓のある和泉式部だ」と名乗り、消え失せました。
上人が額を書き上げて仏前に手向けると、和泉式部が歌舞の菩薩となって現れ、舞楽を奏し、上人の徳を讃え、上人自筆の六字名号の額を礼拝しました。
熊野と縁の深い2人の人物、和泉式部と一遍上人の共演です。