本日3月18日は怨霊の命日

柿本人麻呂(百人一首より) 不明 – in the site of http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/ ;Website「やまとうた」 , パブリック・ドメイン, リンクによる

日本の伝説の世界では、死して怨霊となった者の命日は3月18日とされるそうです。

三月十八日……それは柳田国男の語るところによれば、あらゆる怨霊の命日であった。小野小町も和泉式部(生没年不詳)も平景清も、すべて三月十八日が命日であって、そして、柳田国男自身も不思議に思っているように、わが柿本人麻呂の命日もまた三月十八日であった。

梅原猛『水底の歌』

なぜ3月18日とされるのかはわかりません。

 わが国の伝説界においては、三月十八日は決して普通の日の一日ではなかった。…一方にはまた市原野において、この日が小野小町の忌日であった。九州のどこかでは和泉式部も、三月十八日に没したと伝うるものがある。…
 このあいだも偶然に謡の「八島」を見ていると、義経の亡霊が昔の合戦の日を叙して、元暦元年三月十八日の事なりしにといっている。

柳田國男『一つ目小僧その他』

万葉時代最大の歌人、歌聖と尊崇された柿本人麻呂の命日も3月18日とされました。

み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思へど直に逢はぬかも

柿本人麻呂の恋の歌。
(訳)熊野の浦の浜木綿の葉が幾重にも重なっているように、幾重にも幾重にも百重にもあなたのことを思っていますが、直接には会えないことだ。(『万葉集』巻第四 496・新499)

柿本人麻呂:熊野の歌

本日3月14日は熊野出身の禅僧・山本玄峰老師の誕生日

本日3月14日は熊野出身の禅僧・山本玄峰老師の誕生日。日本の近代史に大きな影響を与えた熊野が誇る偉人です。山本玄峰は慶応2年1月28日(1866年3月14日)に湯の峰で生まれました。

山本玄峰老師は戦争終結に向けて力を尽くしていた鈴木首相を禅宗の始祖の達磨大師の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という言葉を使って、励ましました。

以前、山本玄峰老師について少しお話した動画があります。4分ほどの動画です。ぜひご覧ください。

『神道集』所収の「熊野権現の事」では、垂仁天皇のときに諸国に大疫病が起こり、3742社もの神社を国々に祭り置かれたと

各地の有名な神社の神々の御由緒譚を集めた『神道集』という説話集があります。南北朝時代に成立したと考えられるこの説話集にはもちろん熊野の神様の御由緒譚も収められています。

『神道集』の熊野の神様の御由緒譚「熊野権現の事」によると、熊野三所権現は第7代天皇・孝霊天皇のときに祭られるようになったとされます。
熊野権現の事(熊野の本地)現代語訳5

その後、第10代天皇・崇神天皇のときに若一王子(にゃくいちおうじ)が現れ、第11代天皇・垂仁天皇のときに熊野十二所権現が勢揃いし、熊野への道沿いに諸王子社が現れたとされます。そして、その垂仁天皇のとき、諸国に大疫病が起こり、帝は大いに驚かれて3742社もの神社を国々に祭り置かれたと「熊野権現の事」では語られます。
熊野権現の事(熊野の本地)現代語訳6

垂仁天皇が置いたと語られる3742社の中に熊野十二所権現のうちの九所や諸王子社が含められているのかはわかりませんが、わざわざ熊野の神様の御由緒譚の中でこのように語られたのは、疫病退散も熊野の神様が与えるご利益なのだと考えられていたからなのでしょう。

熊野参詣をされた方々に御加護がありますように。