今まで気にもしていなかったのですが、JR新宮駅から三重県のほうに向かう線路はレールが3本ある箇所ガードあるのですね。
どうも脱線防止のためらしいです。写真のいちばん左側のが脱線防止ガードのようです。
地元の人でしたら知っていることでしょうが、昨日の新宮のまち歩きで「なんで?」と話題になりました。
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今まで気にもしていなかったのですが、JR新宮駅から三重県のほうに向かう線路はレールが3本ある箇所ガードあるのですね。
どうも脱線防止のためらしいです。写真のいちばん左側のが脱線防止ガードのようです。
地元の人でしたら知っていることでしょうが、昨日の新宮のまち歩きで「なんで?」と話題になりました。
昨日の和歌山大学南紀熊野サテライトの学部開放授業の新宮の町歩きで訪れた場所。
徐福公園。江戸時代に建てられた徐福の墓を中心に整備された公園です。
徐福は、紀元前3世紀の中国・秦の始皇帝に仕えた方士(神仙思想の行者)。始皇帝の命により、東方海上に不老不死の仙薬を求めて三千人の少年少女とさまざまな分野の技術者を引き連れて船出し、この熊野に上陸したと伝えられています。
熊野では、農耕、漁法、捕鯨、造船、紙すき、焼き物、土木、医薬などの新技術はすべて徐福から伝えられたものだとされてきました。徐福伝説 in 熊野
木の実植ゑ 徐福はこゝに 棲みつきし(山不鳴)
句碑の横に植えられた木は天台烏薬(てんだいうやく)。
昨日は和歌山大学南紀熊野サテライトの学部開放授業のお手伝いで新宮の町歩き。
写真は訪れた場所のひとつで、新宮市名誉市民の大石誠之助の宅跡。
大石誠之助は明治政府によるでっち上げの「大逆事件」で死刑に処された明治時代の新宮の医師。オレゴン州立大学医科卒。
われの郷里は紀州新宮。
佐藤春夫「愚者の死」
渠の郷里もわれの町。
聞く、渠の郷里にして、わが郷里なる
紀州新宮の町は恐懼せりと。
当時大学生であった佐藤春夫が大石誠之助の死を悼んで書いた詩。
渠は首領。ここでは大石誠之助のこと。大石誠之助は佐藤春夫の父の友人でした。
この「大逆事件」は明治政府が社会主義者たちを一網打尽にするために仕組んだ謀略でした。そのフレームアップ(でっち上げ)を行う舞台として熊野の中核的な都市であった新宮の町が選ばれました。熊野は危険な場所だと政府に認識されていたのでしょう。
大石誠之助宅の前には大石と甥の西村伊作が始めた洋食屋・太平洋食堂がありました。
大石は医師ですが、アメリカ留学時代にコックとして働いたことから西洋料理にも詳しく、コックとして新宮の町の庶民に西洋流の食生活の紹介もしました(太平洋食堂は1年ほどで閉店)。