本日2月29日は出口王仁三郎が無期懲役の判決を言い渡された日。
1940年(昭和15年)2月29日、第二次大本事件の第一審で、大本教主・出口王仁三郎は不敬罪・治安維持法違反で無期懲役の判決を言い渡されました。
和歌山県田辺市中辺路町にある近露王子跡の境内には「近露王子之跡」と刻まれた碑がありますが、これは大本教主・出口王仁三郎の筆跡によるものです。
王子碑の文字について
「近露王子之跡」と書かれた碑の文字は、記名がないけれども大本教主出口王仁三郎の筆跡である。昭和八年(1933)三月二十一日この地に来て休息した際、当時の近野村長横矢球男の依頼で用紙に筆をふるったのである。翌年一月それを彫りつけた王子碑が建立されたが、二年後の昭和十年十二月大本教は二回めのはげしい宗教弾圧をうけ、この碑も取り壊さねばならぬことになった。その時横矢は、この文字は筆跡を自分が模写したものであると主張し、保存していた王仁三郎の書を警察に提出した上で、碑面に見られた「王仁」の書名を削り、そこに「横矢球男謹書」と彫り改めて、王子碑の撤去をまぬがれたという。出口王仁三郎の筆跡の碑は全国に数多く建てられていたが、他はことごとく破壊され、辛うじて残ったのはここだけだとされている。
市教育委員会設置の現地案内板
1942年(昭和17年)7月31日の第二審判決で、出口王仁三郎は治安維持法については無罪となり、不敬罪の懲役5年のみとなりました。
第二次大本事件は治安維持法を宗教団体に適用した最初の案件でした。