和歌山大学南紀熊野サテライトの学部開放授業で、日本におけるダークツーリズム研究の先駆者である井出明先生からダークツーリズムについてのお話を聴くことができました。
ダークツーリズムには関心がなかったのですが、井出先生のお話を聴いて、そもそも熊野観光ってダークツーリズムなのかもと思いました。
ダークツーリズムは災害被災跡地、戦争跡地などを巡る旅くらいに私は勘違いしていたのですが、ダークツーリズムの対象になるのは災害被災跡地、戦争跡地だけではなくて、近代以降の人々の悲しみの歴史が残る場所がその対象になります。
ダークツーリズムの軸には「近代の限界や反省」があり、そうすると熊野観光ってダークツーリズムだよね、と。
熊野三山がそもそも近代国家の政策によって破壊された熊野信仰の跡地なので、熊野三山めぐりなんて、そのまま悲しみの歴史が残る場所をたどるツアーです。
熊野古道歩きも、破壊された信仰の跡地、神社の森の跡地をめぐるツアーです。
南方熊楠ゆかりの場所めぐりも、熊楠や地域の人たちの奮闘によりほんの少しだけ守ることができたけれども、大部分、9割方の神社が破壊されてしまったという悲しみが前提のツアーです。
無社殿神社めぐりもほとんどが破壊された中でわずかに残された場所をめぐる悲しみのツアーです。
明治以降、熊野はボロボロにされました。神仏分離政策、神社合祀政策、国家によるフレームアップ(政治的でっち上げ)であった大逆事件。
その悲しみの歴史は決して忘れてよいものではありません。
人は過ちを繰り返します。そのような歴史が繰り返されないために、未来をよりよいものにするために、悲しみの記憶は伝えていくべきものだと思います。
今は世界遺産の熊野本宮大社旧社地・大斎原も神社合祀政策の流れの中で森を伐採され、破壊された信仰の跡地でした。
これに反し、流失した旧社殿跡地の周囲に群生せる老大樹林こそ…わが国の誇りともすべき物であるのに、一昨夏、神主の社宅を造るとして、めぼしい老樹はことごとく伐り倒された。吾輩が苦情を入れたところ、氏子総代は、神主と一つ穴で、得意げに「昔からこのような英断をした神官はいない、老樹を伐り倒せば跡地を桑畑としておびただしい利益を得ることができる」と公然と言い、伐採するのを見て泣いた村民を嘲る物言いであった。
南方熊楠「神社合祀に関する意見」(現代語訳)
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