今日1月24日は、昨年和歌山県新宮市から名誉市民の称号を与えられた大石誠之助が死刑にされた日。大逆事件という政府によるでっち上げの事件で大石誠之助は逮捕され、明治44年(1911年)1月24日に死刑にされました。
この日に政府によるでっち上げの事件で死刑にされた熊野人は大石誠之助だけではありません。もう1人。成石平四郎。
死刑当日の南方熊楠の日記。
本日午前九時より午後に渉り幸徳伝次郎以下十二名死刑執行、成石平四郎もあり。
(『南方熊楠日記』4巻、八坂書房)
その6日後、1月30日の熊楠の日記。
午下成石平四郎死刑一月下旬の日付、一月二十八日牛込の消印ある葉書届く。
和歌山県田辺町 南方熊楠先生と表宛し、
先生これまで眷顧を忝しましたが、僕はとうどう玉なしにしてしまいました。いよいよ不日絞首台上の露と消え申すなり。今更何をかなさんや。ただこの上は、せめて死にぶりなりとも、男らしく立派にやりたいとおもっています。監獄でも新年はありましたから、僕も三十才になったので、随分長生をしたが何事もせずに消えます。どうせこんな男は百まで生たって小便たれの位が関の山ですよ。娑婆におったて往生は畳の上ときまらん。そう思うと、御念入の往生もありがたいです。右はちょっとこの世の御暇まで。 東京監獄にて成石平四郎四十四年一月下旬
(前同)
当時でも大逆事件は政府によるでっち上げなのではないかと考えられました。アメリカやイギリスやフランスでは抗議運動が起こり、各国の日本大使館に抗議デモが押し寄せました。そのため日本政府は判決を急ぎ、死刑執行を急ぎました。
前年6月に逮捕され、翌年1月19日に死刑判決が下され、それから6日後のスピード執行でした。
このようなことが2度とあってほしくない、と願います。