奥三河の花祭と折口信夫

熊野信仰が成立に関わる奥三河(愛知県北設楽郡一帯)の神事芸能、花祭。
奥三河の花祭に魅了されて通う者を「花狂い」と呼びますが、その1人に民俗学者の折口信夫がいました。

第26回南方熊楠賞を受賞された中沢新一先生の文章にそのことに触れたものがあるのでここに引用します。

ところでここで私が読者の注意を喚起したいのは、折口信夫の民俗調査旅行が、まさにこの地帯でくり広げられたという事実である。信州と三河と遠州の県境地帯には、花祭や冬祭や霜月祭の名前で知られる中世芸能が、いまにいたるまで豊かに伝承されている。そのことを知った折口信夫は、足繁くこの地帯を訪れて、失われてしまった原初の芸能の息吹に触れようとした。
中沢新一「折口信夫と天竜川」

折口は「原初の芸能の息吹」に触れるために花祭に通い詰めました。

花祭は熊野信仰が奥三河に定着して創造された神事芸能。

釜で湯を沸かして神霊に捧げ、その湯で人々を浄める熊野の湯立神事が、鎌倉時代末期から室町時代にかけて熊野の修験者により奥三河に伝えられ、そこから現地で独自の発展を遂げたのが花祭だと考えられます。

今年12月8日(土)、熊野から奥三河に伝わった湯立神事が数百年の時を経て、熊野に里帰りします。その歴史的な瞬間にぜひ立ち会ってください。

花祭熊野公演チラシの印刷用のPDFデータを公開しています。
ダウンロードしてプリントアウトしてご利用ください。お店などに貼って宣伝にご協力していただけたら助かります。写真を撮るなどして、TwitterやInstagramでハッシュタグ「#熊野花祭」をつけてご投稿いただけたら嬉しいです。

できるだけ多くの方々に来ていただきたいので、ご協力よろしくお願い申し上げます。

チラシ表PDF チラシ裏PDF

12月8日、熊野から奥三河に伝わった湯立神事が数百年のときを経て、熊野に里帰りします!

今年12月8日(土)、熊野本宮大社旧社地にて奥三河の花祭の公演を行います。

熊野信仰が成立に関わる神事芸能は全国各地にありますが、その代表格とも言えるのが奥三河の花祭です。

奥三河(愛知県北設楽郡一帯)に伝わる花祭は、「花(花祭)に入らずば、日本の伝統芸能は語れない」といわれる日本を代表する民俗芸能で、国指定重要無形民俗文化財。

釜で湯を沸かして神霊に捧げ、その湯で人々を浄める熊野の湯立神事が、鎌倉時代末期から室町時代にかけて修験者により奥三河に伝えられ、そこから現地で独自の発展を遂げたのが花祭だと考えられます。

花祭は熊野信仰が奥三河に定着することで創造されました。熊野三山では残念ながら湯立神事は失われてしまいましたが、熊野から離れた奥三河の地で独自の発展を遂げて、脈々と受け継がれていることは嬉しく思います。

熊野から奥三河に伝わった湯立神事が数百年の時を経て、今年12月8日、熊野に里帰りします。その歴史的な瞬間にぜひ立ち会ってください。

主催は、私も一員である熊野花祭を実現するために集まった有志「熊野でテホヘ実行委員会」。「テホヘ」は花祭のなかで観衆が神楽の舞い手にかける掛け声。
共催は月花祭保存会(愛知県北設楽郡東栄町)。協賛は熊野本宮大社

花祭熊野公演チラシの印刷用のPDFデータを公開しています。
ダウンロードしてプリントアウトしてご利用ください。お店などに貼って宣伝にご協力していただけたら助かります。写真を撮るなどして、TwitterやInstagramでハッシュタグ「#熊野花祭」をつけてご投稿いただけたら嬉しいです。

できるだけ多くの方々に来ていただきたいので、ご協力よろしくお願い申し上げます。

チラシ表PDF チラシ裏PDF

花祭熊野公演にあたって熊野でテホヘ実行委員会では、寄付や、当日会場で配布するリーフレットへの広告掲載の募集をしています。どうかご協力お願い申し上げます。

熊野でテホヘ寄付申し込みフォーム(1口3000円から)

広告掲載についてはこちらのメールフォムでお問い合わせください。(1口5000円から)

熊野地方唯一の前方後円墳

和歌山県那智勝浦町下里にある下里古墳。
熊野地方唯一の前方後円墳です。

前方部はすでに削り取られていて円墳のように見えます。

築造時期は4世紀末〜5世紀初頭(古墳時代中期)頃と推定されます。その頃、下里の辺りが熊野国(大化の改新後に紀伊国に併合)の中心的な場所であったのでしょう。

前方後円墳は、地方の首長たちがヤマト王権と同盟関係を結んだり支配されたりした結果、全国に普及した古墳の形だと考えられるので、「地理的に大和の近くであるにもかかわらず、時期的に前方後円墳を構築するのが遅い。容易に同盟しなかったのでは」との説もあります。

熊野には丹敷戸畔(ニシキトベ)という女性の首長がいて、神武の軍勢と戦ったとされますし、熊野の人々はヤマト王権との同盟を長らく拒んだのかもしれません。

下里古墳に葬られているのは丹敷戸畔より後の熊野国の首長かな? その首長は男性だったのか女性だったのか。ニシキトベの伝承を残す地域としては女性首長が被葬者であってほしいなと思います。

那智勝浦町文化協会創立20周年記念の文化講演会「下里古墳から分かること」、10月14日(日)、那智勝浦町体育文化会館にて開催されます。