紀伊半島に9ヶ所あった原発立地候補地

6年ほど前(2012.6.30)にfacebookページに書いた文章が最近シェアされていたので、こちらのブログでも読んでいただけるように少し加筆して転載します。

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  • 電力需要を調整し、ピーク時の電力需要を下げる。
  • 太陽光発電などの自然エネルギーを増やし原発依存から脱する。
  • 廃棄物処理、廃炉費用も含め、原子力発電のコストを再計算する。
  • 設備、人件費などに一定の利潤を加えて電気料金を決める総括原価方式を見直す。

上記は、汐見文隆監修・「脱原発わかやま」編集委員会編『原発を拒み続けた和歌山の記録』寿郎社、146ページからの引用。
http://mediamarker.net/u/mikumano/?asin=4902269481

今から30年以上前、1980年前後に原発設置に反対した和歌山県の住民たちが主張していた紀伊半島への原発新設不要論の一部です。

和歌山県には原発立地候補地が5ヶ所ありました。三重県には4ヶ所。和歌山県那智勝浦町浦神、古座町荒船、日置川町口吸、日高町阿尾、日高町小浦、三重県紀勢町・南島町の芦浜、紀伊長島町城ノ浜、海山町の大白浜、熊野市井内浦。

紀伊半島に合わせて9ヶ所の候補地がありましたが、そのことごとくを住民たちは拒みました。

昨夜、首相官邸前で関西電力大飯原発の再起動に反対する市民らの抗議行動がありました。参加者は主催者発表で15万人。

いま国を動かしている人達は3.11以前の状態に戻したいようですが、あれだけの事故を起こした後ではもう戻れません。

日本は変わらなきゃ。

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玄峰老師の言葉「和して同ぜずでないとほんとうの仕事はできない」

日比谷図書文化館さんの日比谷カレッジで講師を務めさせていただいたときにオススメした書籍3冊のうちの1冊が、山本玄峰老師の著書『無門関提唱』(大法輪閣、1960年10月)でした。

山本玄峰老師は南方熊楠より1歳年上の熊野湯の峰出身の禅僧。時の総理の相談役を務め、太平洋戦争終結に尽力し、また天皇を国家の象徴とするよう示唆するなどした熊野が誇る偉人です。

『無門関提唱』から山本玄峰老師の言葉を紹介します。

君子は和して同ぜず、小人は同じて和せずという。君子は別々のように見えておるけれども、きちんと物の道理を弁えてる。ところが小人はいかにも仲よくしているようにして、おべんちゃらを上手に使っていても、箔がはげる。君子は言葉に現わさなくても、社会の苦しみを見ればほんとうに苦しみ、人の苦しみを見てもほんとうに自分の苦しみと感ずる。和して同ぜずでないとほんとうの仕事はできない。
(山本玄峰『無門関提唱』大法輪閣、180頁)

和して同ぜずでないとほんとうの仕事はできない。
『無門関提唱』には素晴らしい言葉がたくさん散りばめられていますが、この言葉もいいなあと思います。

オススメした書籍の残りの2冊は、松原右樹『松原右樹遺稿 熊野の神々の風景』(松原右樹遺稿刊行会、2012年10月)と、梅原猛『日本の原郷 熊野』(とんぼの本 新潮社、1990年1月)。

玄峰老師の言葉「今は日本も危い、危い。主となって国家のこの危急の場合を率いていかんならん人たちが…」

昨日8月15日は終戦記念日。玉音放送により日本の降伏が国民に公表された日。

太平洋戦争終結に向けて尽力した熊野・湯の峰(和歌山県田辺市本宮町湯の峰)出身の禅僧・山本玄峰の言葉を紹介します。禅の公案集『無門関』の第十四則「南泉斬猫」についての講義より(読みやすいように現代仮名遣いに改めました)。

今は日本も危い、危い。主となって国家のこの危急の場合を率いていかんならん人たちが、自分自身が危なくて見ておれん。戦争のおこる前に、いろんな事件がおこった。こちらへも何人も葬られておるが、ああいう人が出て来て、わからずやをやる。……まったく危ない。自分の身が危ないだけじゃない。国家が危ない。自分の身のことくらい小さい。このいま大切なときに当って政治家じゃとか大臣じゃとかいって、一体何がわれわれ民族のために、国のために働きよるか。なぜこれくらいのことがわからないかしらんと思うほど情けない。危ないかな。危ないかな。自分一人の話じゃない。猫一匹の話じゃない。それは自分自分がほんとうにひとつ気をつけて、何をいい得ていいのか、何を行ったらいいのか、どういう進路をとって進むべきがほんまかということがほんとうにわかってもらいたい。
(山本玄峰『無門関提唱』大法輪閣、177-178頁)

これは戦後、昭和30年代に語られたお話ですが、今の日本も同じような状況にあるように思えます。

では、何を教化というか。お互いが五風十雨で安らかに、楽しく暮らしていく。十日の一雨、五日の一風というて国を安んじ民を楽します、これよりほかに仏法はない。気候の揃うていくごとくに、互いに相和し、相親しみ合って、そして戦争じゃとか喧嘩じゃとかをやめる、家の中でもコトッともいわんように、玉の盤をめぐるごとくというように、円滑自在にいくようになりたいというのが仏教の本意である。
(前同、179-180頁)

遺書には、

正法興るとき国栄え、正法廃るとき国滅ぶ。よろしく正法を守り仏法を興すべし。
(前同、寿譜)

と記されていました。
上の写真は和歌山県田辺市本宮町渡瀬にある玄峰老師のお墓。