本日3月26日は鉄幹忌

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与謝野寛(与謝野鉄幹)
published by 東洋文化協會 (The Eastern Culture Association) – The Japanese book “幕末・明治・大正 回顧八十年史” (Memories for 80 years, Bakumatsu, Meiji, Taisho), パブリック・ドメイン, リンクによる

本日3月26日は鉄幹忌。与謝野鉄幹の命日。与謝野鉄幹は1935年(昭和10年)3月26日に亡くなりました。

与謝野鉄幹は熊野と縁のある人物でした。

大石誠之助からは経済的な支援を受けました。大石誠之助が大逆事件で死刑に処されたとき、その死を悼んで「誠之助の死」と題した詩を書きました。

大石誠之助は死にました、
いい気味な、
機械に挟まれて死にました
人の名前に誠之助は沢山ある
然し、然し、
わたしの友達の誠之助は唯一人。

与謝野鉄幹「誠之助の死

また与謝野鉄幹が衆議院選挙に出るときには西村伊作から選挙資金の一部を出してもらいました。選挙には落選しましたが、その後、西村伊作が理想とする学校の創設に与謝野は妻・晶子とともに協力。与謝野は文化学院では校長を補佐する学監を努めました。

オリンポス遠きギリシャのいにしへの神々の火は海を越え荒野をよぎり

1964年東京オリンピックの開会式で歌われた「オリンピック東京大会讃歌」は熊野出身の文豪・佐藤春夫が作詞したものです。

オリンポス遠きギリシャの
いにしへの神々の火は
海を越え荒野をよぎり
はるばると渡り来て
今ここに燃えにぞ燃ゆる

佐藤春夫作詞「オリンピック東京大会讃歌」

2020年東京オリンピックの聖火到着式では聖火が2度消えるというハプニングがありましたが。

ともあれ聖火リレーが中止になったのはよかったです。あれで新型コロナウィルスが全国に感染拡大していったら堪らないと思っていました。

2020年の東京オリンピックはこれまでもエンブレムとか新国立競技場のデザイン案とか予算の大幅超過とか、暑さ対策のかぶる傘とか、トイレの臭いがする東京湾とか、マラソン競歩の開催地変更とかいろいろありましたが、中止ではなく延期ということであれば、これからもいろいろあるのでしょう。

第1回大会の1896年アテネオリンピック以降、近代オリンピック史上、オリンピックの延期は1度もありませんでした。1940年の東京オリンピックも中止でした。

オリンピック延期は中止よりもはるかに困難があるのだろうと思います。中止にしてほしいというのが正直なところです。

南方熊楠が英訳した『方丈記』のCHAPTER 2をDeepL翻訳で日本語に

南方熊楠が英訳した『方丈記』、”A Japanese Thoreau of the Twelfth Century”の CHAPTER 2 をDeepL翻訳で日本語に。

さて,私が初めて自分の周りの世界を意識して知って以来,約40回の春と夏が過ぎ,多くの奇妙な出来事を経験してきた。

安元3年5月28日(1177年5月28日)、戌の刻(午後7〜8時)頃、紫の嵐が吹き荒れていた時、都の龍(東南)地区で火事が発生し、犬と豚(西北)地区にまで広がり、朱雀門、大極殿、大極殿、大極寮、民宿に至るまで、その一夜の間に全体が灰になった。

火事の発端は、樋口富と呼ばれる小道にあった仮病院の小屋であったと言われています。風に好まれて、火は扇状に燃え広がりました。遠くの家々は煙に包まれ、近くの空間は炎の渦に包まれた。空気は塵の雲で満たされていた、それは炎の中で反射したので、近所全体が炎の輝きに浸されているように、炎の舌が隣の通りの上に飛び交った。

このような恐怖の中で、誰が安定した心を保つことができるでしょうか?

煙で窒息して地面に倒れた者もいれば、混乱して自分の財産を守ろうと炎の中に真っ直ぐ逃げ込んで焼死した者もいたし、莫大な財産が全滅した者もいた。十六棟の空家と無数の小さな家が焼失した。都市の三分の一が破壊された。何千人もの人が死に、馬や牛も数え切れないほど死んだ。

このような危険にさらされた都市で、彼らは家を建て、宝を費やし、エネルギーを浪費しています。

Kumagusu Minakata and F. Victor Dickins ”A Japanese Thoreau of the Twelfth Century” CHAPTER 2 Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)