南方熊楠が英訳した『方丈記』のCHAPTER 6をDeepL翻訳で日本語に

南方熊楠が英訳した『方丈記』、”A Japanese Thoreau of the Twelfth Century”の CHAPTER 6 をDeepL翻訳で日本語に。

しかし、それがあまりにも昔のことなので、2年間、この地で飢饉が発生し、非常に悲惨な時代であったことは確かではありません。春と夏には干ばつがあり、秋と冬には洪水と嵐がありました。

そのため、飢饉は続き、五穀では作物は刈り取られませんでした。春に土地を耕すことは無駄であり、夏に植えることは愚かなことであり、秋には刈り取ることができず、冬には何も蓄えることができなかった。

そのため,各地方の多くの人々は,土地を捨てて辺境を越え,あるいは家から逃げ出して,野山の中で生計を立てていた。

様々な種類の多くの祈りが捧げられ、珍しい儀式が行われたが、役に立たなかった。町はもちろん国に依存しているが、国からは何も来なかったので、町はいわば顔色を失っていた。

民衆が助けを求めている間、彼らは無謀にも商品を売りに出したが、買い手はつかなかった。金は安く、穀物は高く売られた。乞食たちは道端で悲惨な泣き声をあげ、彼らの叫び声で耳を傾けていた。

Kumagusu Minakata and F. Victor Dickins ”A Japanese Thoreau of the Twelfth Century” CHAPTER 6 Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

南方熊楠が英訳した『方丈記』のCHAPTER 5をDeepL翻訳で日本語に

南方熊楠が英訳した『方丈記』、”A Japanese Thoreau of the Twelfth Century”の CHAPTER 5 をDeepL翻訳で日本語に。

この時期に、私は新しい首都を訪問する機会がありましたが、道路やアバンヌの適切なレイアウトにはあまりにも狭いことがわかりました。北には丘陵が連なる斜面があり、南には海に洗われていた。波の轟音は永遠に耳に響き、強風は永遠に顔に吹きつけられ、丘の間にある宮殿は、デザインと豪華さがないわけではありませんでしたが、「丸木の宮殿」を思い起こさせるものでした。

道を歩いていると、馬車や馬に乗った人々の姿が目に入り、一般的なチュニックに変わっていく。かつての首都の優雅なマナーは一度に消え、田舎のファッションが支配していた。日に日に騒ぎが大きくなり、人々の心は落ち着かなくなっていった。この混乱は原因がないわけではなく、冬が来ると、人々は京都に戻るのを抑えることができなかった。

しかし、取り壊されて撤去された家々はどうなったのだろうか。私たちは知らないが、このことだけは知っている。おぼろげな話によると、昔のソヴランの賢明な時代には、ソヴランは慈悲深く統治しており、彼らの宮殿には茅葺き屋根しかなく、軒もそれに合わせて調整されていなかった(ベランダはない。心の中から煙が上がってくるのが見えなくなると、税金が納められた。現代が昔の時代と比べてどれほど劣っているかは、人はよく知っている。

Kumagusu Minakata and F. Victor Dickins ”A Japanese Thoreau of the Twelfth Century” CHAPTER 5 Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

本日3月30日は鴨長明が『方丈記』を書き上げた日

3月30日は鴨長明が『方丈記』を書き上げた日。建暦2年3月30日(1212年4月22日)。

時に建暦の二とせ、彌生の晦日比、桑門蓮胤、外山の庵にしてこれをしるす。

「月かげは入る山の端もつらかりきたえぬひかりをみるよしもがな」。

鴨長明『方丈記』

南方熊楠が友人のディキンズとの共訳で『方丈記』の英訳をイギリスの学術団体・王立アジア協会の機関誌に発表したのが1905年4月でした。

また前述のディキンズのすすめにより帰朝後、『方丈記』を共訳した。『皇立亜細亜協会(ロイヤル・アジアチック・ソサイエティー)雑誌』(1905年4月)に出す。従来日本人と英人との合作は必ず英人の名を先に載せるのを常としたが、小生の力が巨多なため、小生の名を前に出させ A Japanese Thoreau of the 12th Century, by クマグス・ミナカタおよび F.Victor.Dickins と掲げさせた。

南方熊楠「履歴書」口語訳

『方丈記』末尾の英訳。

Written on the last day of the yayoi month of 2 Kenryaku [May lst, 1185] by the Somon Ren-in in his cabin on Toyama.

Alas ! the moonlight
Behind the hill is hidden
In gloom and darkness.
Oh, would her radiance ever
My longing eyes rejoiced !

Kumagusu Minakata and F. Victor Dickins “A Japanese Thoreau of the Twelfth Century” (16)

これをDeepL翻訳で日本語訳。

建暦二年(1185年)弥生月の末日、宗門蓮院(※僧の蓮胤=鴨長明の法名)が外山の山小屋で書いたものです。

嗚呼、月の光は
丘の向こうに隠れている
暗闇の中で
ああ、彼女の輝きは
私の憧れの目を喜ばせてくれるだろう!

Kumagusu Minakata and F. Victor Dickins ”A Japanese Thoreau of the Twelfth Century” (16) Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)