今日5月3日は憲法記念日、象徴天皇制を示唆したのは

今日5月3日は憲法記念日。日本国憲法の施行を記念する日。

日本国憲法の先頭に置かれたのは天皇についての規定です。

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

日本国憲法第1章第1条

天皇が象徴の地位にあることと、この地位が主権者である日本国民の総意に基づくという規定がなされた重要な条文です。

大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス

大日本帝国憲法第1章第1條

大日本帝国憲法では主権者は天皇でしたが、日本国憲法ではそれを主権者は国民であり、国民の総意のもと天皇を象徴の地位に置くとしました。

この象徴天皇制は新憲法の制定委員会が熊野出身の禅僧・玄峰老師の示唆を受け入れて作り出されたものだといわれます。

日本人は天皇陛下万歳と言って死んでいく。天皇を除かなければ世界から認められない。しかし天皇を除けば日本国民がアメリカに反抗する。そうなればそれを口実にソ連が進駐してくる。そうした状況の中で天皇をどうしたらよいのか。

玄峰老師が示唆したのは、天皇は一切政治に関係しない、主権は日本国民にあり、天皇を国民全体の象徴とし、政治を担当する者は国民を象徴する天皇の気持ちを受けて政治を行うという形にしてはどうかということでした。

これはその当時としては最適解であったのではないかと思います。

そして今後も天皇を象徴の地位に置き続けるかどうかは主権者である日本国民の総意に基づきます。

昭和天皇の33年の時を越えての返歌

南方熊楠記念館の昭和天皇御製歌碑
南方熊楠記念館の昭和天皇御製歌碑

今日4月29日は「昭和の日」。昭和天皇の誕生日なので昭和天皇の御製歌を。

雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ

昭和天皇御製

昭和37年(1962年)、昭和天皇は南紀行幸した折に白浜の宿から田辺湾に浮かぶ神島を眺め、33年前にその島で出会った南方熊楠を追憶して歌を詠じられ、翌年、昭和38年(1963年)の正月に発表されました。

変形菌学者でもあった若き昭和天皇は南方熊楠を尊敬し、天皇自らが会うことを希望し、2人の出会いは昭和4年(1929年)6月1日に実現しました。当時、熊楠は62歳、昭和天皇は28歳でした。

昭和天皇と熊楠の出会いの場である神島には翌年、昭和5年(1930年)に行幸記念碑が建てられ、そこには熊楠の歌が刻まれました。

神島の昭和天皇行幸記念碑
神島の昭和天皇行幸記念碑(神島は現在、上陸禁止。上陸には許可が必要)

一枝もこころして吹け沖つ風 わか天皇のめてましゝ森そ

南方熊楠

昭和天皇の御製歌はこの熊楠の歌に対する、33年の時を越えての返歌のようです。

昭和天皇は熊楠のあとを追い、戦前の日本においては熊楠と並んで変形菌採集のツートップとなりました。熊楠は昭和天皇のことを「普通の家に生まれたら立派な学者になっていただろう」と言っていたとか。

南方熊楠記念館の昭和天皇御製歌碑
南方熊楠記念館の昭和天皇御製歌碑

投票日が近づいてきました

和歌山県田辺市の市長選と市議選が18日に告示され、投票日が近づいてきました。

市長選候補者の公開討論はYouTubeで見ることができますが、市議選候補者はどんなことを考えているのかわからない人ばかり。

コロナ禍の選挙なのだから候補者に関する情報をもっとネットで簡単に得られるようにしてほしかったと思います。

YouTubeで幾人かの市議選候補者の動画を見ましたが、私が見た中では、自分の考えをしっかりと伝えているのは中岸けんたさんと笠松美奈(かさまつ みな)さんくらいでした。

今回の定数20の市議選に対して候補者は28人。そのうち女性の候補者は4人。女性の議員はもっともっと増えてほしいと思います。

地方では今後ますます若い女性が激減します。若い女性が暮らせない地域はいずれ滅びます。

地域を存続させるためには若い女性が豊かさや幸せを実感できる社会を地域で実現させることが必要です。

地域の未来のためには議会は少なくとも50%くらいは女性議員であるべきだろうと思います。

実際のところは、日本は男女平等ランキングで世界156か国中120位と男女格差の大きい国なので、女性議員が議会の70〜80%を占めるくらいになったほうがよいのかもしれませんが。