昭和4年6月1日、南方熊楠が昭和天皇へのご進講で最初に見せたのがウガ

本日6月1日は南方熊楠が昭和天皇にお会いした日。昭和4年(1929)6月1日。熊楠が62歳、昭和天皇が28歳。

田辺湾に浮かぶ無人島、神様の島、神島で出会い、その後、御召艦長門に移動し、ご進講(御前講義)を行いました。

熊楠は標本等をお見せして、その説明を行うという形で講義を行いました。日本における変形菌研究の先駆者として知られた熊楠ですが、用意した標本は変形菌だけではありませんでした。

まず最初にお見せしたのが、田辺の人がウガと呼ぶ海生生物のアルコール漬けの標本でした。

ウガ
『南方熊楠全集2』平凡社、515頁

セグロウミヘビというウミヘビの尾にコスジエボシという動物が複数付いた、不思議な動物がウガ。

一昨年〔大正十三年〕六月二十七日夜、田辺町大字江川の漁婦浜本とも、この物を持ち来たり、一夜桶に潮水を入れて蓄い、翌日アルコールに漬して保存し、去年四月九日、朝比奈春彦博士、緒方正資氏来訪された時一覧に供せり。これ近海にしばしば見る黄色黒斑の海蛇の尾に、帯紫肉紅色で介殻なきエボシ貝(バーナックルの茎あるもの)八、九個寄生し、鰓、鬚を舞してその体を屈伸廻旋すること速ければ、略見には画にかける宝珠が線毛状の光明を放ちながら廻転するごとし。この介甲虫群にアマモの葉一枚長く紛れ著き脱すべからず。尾三つに分かれというは、こんな物が時として三つも掛かりおるをいうならん。

南方熊楠「ウガという魚のこと【追記】」『南方熊楠全集2』平凡社、515頁

アルコール漬けの標本のため色は抜けていますが、背が黒く腹面は黄色のセグロウミヘビの尾に、紫色の縞の入った肉紅色のコスジエボシが数個付着。さらにアマモという緑色の海草も付着しています。

コスジエボシは蔓脚類に属する動物。バーナックル(フジツボ)の仲間です。フジツボというと磯の岩場に貼り付いている富士山型のものが思い浮かびますが、このフジツボには貝殻がありません。海流に乗って漂流する流木などに付着し、海面を漂って生活します。

セグロウミヘビは外洋に生息するウミヘビですが、暖流に乗って日本近海にも現われます。セグロウミヘビもまた海流に乗って漂流して大洋を移動するようで、漂流生活という点ではコスジエボシとは似たような生活スタイルであるといえそうです。

コスジエボシの幼生は海中を泳いで移動し、ある段階で漂流しているものに取り付きます。取り付いた先がたまたまセグロウミヘビであったときにウガが誕生するということになります。

このような異なる種の生き物がくっついたようなものに熊楠は興味があったようです。熊楠は淡水性の亀に藻を生やして蓑亀にするという実験も行っていました。

ウガはウミヘビとフジツボがくっついた生き物であり、また変形菌にしてもアメーバとキノコという異なる種の生き物がくっついたかのような生き物です。

また熊楠は男女の2つの性を合わせもつ半男女についても強い関心を示しました。異なる2つのものがくっついたような存在に熊楠は惹かれたようです。

本日6月1日は南方熊楠が昭和天皇にお会いした日

昭和4年(1929)6月1日

本日6月1日は南方熊楠が昭和天皇にお会いした日。昭和4年(1929)6月1日。熊楠が62歳、昭和天皇が28歳。

変形菌学者でもあった若き昭和天皇は熊楠を尊敬し、天皇自らが会うことを希望し、2人の出会いは実現しました。

出会いの場所は田辺湾に浮かぶ無人島、神様の島、神島でした。

熊楠と昭和天皇の出会いはまるで神話の時代の出来事を思わせます。熊楠の名の意味するところは「熊野の楠」であり、熊楠は熊野の森の精霊が人間の姿で現われたかのような人物でした。

熊野の森の精霊と天皇とが神様の島で出会いました。

昭和5年(1930)6月1日

神島行幸記念碑
神島行幸記念碑(神島は現在、島内への立ち入り禁止。上陸するには許可が必要)

翌年の昭和5年(1930)6月1日には神島に建立された行幸記念碑の除幕式が行われました。その碑には熊楠が詠んだ歌が刻まれています。

  昭和四年六月一日
  至尊登臨之聖蹟
一枝もこころして吹け沖つ風
わか天皇のめてましゝ森そ
      南方熊楠謹詠并書

神島行幸記念碑

一枝も心して吹け、沖の風よ。我が天皇がお愛でになった森であるぞ。

明治35年(1902)6月1日

神島

熊楠が初めて神島に上陸したのは昭和天皇との出会いから27年遡った明治35年(1902)6月1日。熊楠35歳。田辺に定住する2年ほど前に田辺を訪れてしばらく滞在したときのことです。

その日の熊楠の日記。

朝多屋勝四郎氏来り、共に神島に舟遊、予昨夜の宿酔にて身体しっかとせず、木耳等少々とるのみ。

『南方熊楠日記 2』八坂書房

熊楠が神島と出会ったのも、神島で熊楠が昭和天皇と出会ったのも6月1日。熊楠にとっても神島にとっても6月1日は大切な日です。

熊野地方の梅雨の風物詩、天国の光のキノコ、シイノトモシビタケ

梅雨入りしてシイノトモシビタケが見られるようになりました。

熊野地方の梅雨の風物詩である光るキノコ、シイノトモシビタケ。

シイノトモシビタケの学名は、Mycena lux-coeli(ミケナ ルックス – コエリ:天国の光のキノコ)。

その学名は浄土の地とされた熊野に似つかわしく、実際に熊野はシイノトモシビタケの世界最大の生息地帯です。

シイノトモシビタケが発見されたのは東京の八丈島で1951年のことですが、南方熊楠顕彰館の収蔵庫には1903年に那智で採集されたシイノトモシビタケの標本が保管されています。シイノトモシビタケは発見される48年前に那智で採集されていました。

シイノトモシビタケの生息地は熊野の大切な宝物です。

写真はすべて妻が撮影したもの。

シイノトモシビタケ
2013年撮影
シイノトモシビタケ
2014年撮影
シイノトモシビタケ
2014年撮影
シイノトモシビタケ
2015年撮影
シイノトモシビタケ
2016年撮影
シイノトモシビタケ
2016年撮影
シイノトモシビタケ
2017年撮影
シイノトモシビタケ
2019年撮影

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