「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言で知られる玄峰老師の毎歳忌法要

玄峰老師毎歳忌法要

本日6月3日は、熊野出身の禅僧、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言で知られる玄峰(げんぽう)老師の命日。

午前10時から湯の峰温泉の東光寺横の玄峰塔の前で毎歳忌法要が営まれました。

玄峰老師は日本の近代史に大きな影響を与えた人物。

玄峰老師の墓

毎歳忌法要の後、お墓参りに行きました。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」明日6月3日は、熊野出身の禅僧、玄峰老師の命日

玄峰塔

明日6月3日は、熊野出身の禅僧、玄峰老師の命日です。

午前10時から東光寺(和歌山県田辺市本宮町湯の峰)横の玄峰塔の前で毎歳忌法要が営まれます。

玄峰老師は日本の近代史に大きな影響を与えた人物。

玄峰老師の名は知らなくとも「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という言葉は誰もが聞いたことがありますよね。

本日6月1日は昭和天皇と南方熊楠が出会った日

神島

本日6月1日は昭和天皇と南方熊楠が出会った日。

昭和4年(1929年)6月1日、昭和天皇と南方熊楠は、田辺湾に浮ぶ無人島、神様の島、神島(かしま)で出会いました。

神島は熊楠の神社合祀反対運動、自然保護運動の象徴的な場所。

熊野の土地の精霊が人の姿で現われたかのような熊楠と昭和天皇との出会いは、まるで神話のいち場面のようです。

熊楠が初めて神島に上陸したのは、明治35年(1902年)6月1日。田辺に定住する2年ほど前に田辺を訪れてしばらく滞在したときのことです。

どちらも6月1日。偶然なのでしょうが、運命的なものを感じます。

昭和天皇と南方熊楠の出会いから1年後の昭和5年(1930年)6月1日には、神島に昭和天皇の行幸を記念する石碑が建立されました。

碑には「一枝もこゝろして吹け沖つ風 わが天皇のめてましゝ森そ」と熊楠が詠んだ歌が刻まれています。

神島は現在、国指定天然記念物で、島内は立ち入り禁止。上陸する場合は田辺市教育委員会の許可が必要です。

写真は漂着ゴミの清掃のために上陸したときに撮影したもの。

神島

神島

神島

神島

記念碑の裏面には以下のように刻まれています。

昭和五年六月一日建之
新庄村 及
南方研究所

神島の森は熊楠の孤軍奮闘により守られたものではなく、地域の住民たちによる神社合祀に対する奮闘があったからこそ守ることできたものなのです。