卯の花と音無川

ウツギ

卯の花の盛りは過ぎてしまいましたが、卯の花と音無川のことを詠んだ歌があるので、ご紹介します。写真は5月下旬に撮影したもの。

 卯の花をよめる/源盛清

卯の花を音無河の波かとてねたくも折らで過(すぎ)にけるかな

白河上皇の院宣により編纂された第5勅撰和歌集『金葉和歌集』に収められた歌(補遺歌 671)。

(訳)卯の花を音をたてずに流れる音無川の波かと思って、腹立たしいことに折らずに通り過ぎてしまったよ。

「音無し(音がない)」を懸詞とする歌。卯の花は、その白さから波に喩えられます。

音無川、音無の里、音無の滝:熊野の歌

草木の王、南天

南天

かつて「草木の王」と称された南天の花がぼちぼち咲き始めました。

以下、南天について南方熊楠「紙上問答」より。

南天は『本草』に草木之王と称し、その枝葉を久しく服すれば、長生し、また飢えず、と言えり。……

十年ばかり前、東牟婁郡色川村の浦地健治という人、南天の大木を伐り、博覧会へ出し誇りおりたり。公文山とて、三里村近き地に神木多く、これを伐りて異様の凶死せし者十四、五人あり。この山に径一尺六寸ほどの大南天一本あり。毎度見つけて、さてこれを伐らんと支度して、また往き見れば一向なし。他の樹木に変相するなり、という。むかし土小屋の神社に、生きたる「おこぜ」魚を献じ、水乏しかりし川に大水を招き出し、十津川より材木十万を一朝に下し、大いに細民を救いし人あり。この人件の大水出るを見て歓喜に堪えず、径八寸ある南天の大木に乗り、流れに任せて失せ去りし、と言い伝う。
(『南方熊楠全集3』平凡社、213~214頁)