メモ、南方熊楠の文章から玉置山について

玉置神社

先日久しぶりに玉置神社にお参りしました。

南方熊楠も玉置神社をお参りしたことがあり、熊楠の文章から玉置神社についての部分を抜き書きします。

大和吉野郡十津川の玉置山は海抜三千二百尺という。予も昨秋末詣りしが、紀州桐畑より上るは、すこぶる険にして水なく、はなはだしき難所なり。頂上近くに大いなる社あり。

その神狼を使い者とし、以前は狐に付かれしもの、いかに難症なりとも、この神に祈り蟇目(ひきめ)を行なうに退治せずということなく、また狐人を魅(ばか)し、猪鹿田圃を損ずるとき、この社について神使を借るに、あるいは封のまま、あるいは正体のまま渡しくれる。

正体のままの場合には、使いの者の帰路、これに先だち神使狼の足跡を印し続くるを見、その人家に達する前、家領の諸獣ことごとく逃げおわるという。

また伝うるは、夜行する者、自宅出づるに臨み、「熊野なる玉置の山の弓神楽」と歌の上半を唱うれば、途上恐ろしき物一切近づかず。さて志す方へ着したる時、「弦音きけば悪魔退く」まさとやらかすなり、と。前述、送り狼の譚は、これを言えるか。

社畔に犬吠の杉あり。その皮を削り来て、田畑に挿(さしはさ)み悪獣を避けしという。守禦の功、犬に等しという意か。

南方熊楠「小児と魔除」(『南方熊楠全集2』平凡社、118-119頁)
玉置神社
玉置神社 神代杉
玉置神社 神代杉
玉置神社 夫婦杉
玉置神社 夫婦杉

田辺市文化賞推薦委員の会議で私が話したこと

田辺市文化賞

11月19日に開催された令和3年田辺市文化賞贈呈式に推薦委員として出席しました。今年の受賞者は、地域における図書館ボランティアの先駆者である染谷文代(そめやふみよ)さんと、小栗判官物語の研究と伝承に功績のある安井理夫(やすいただお)さんのお二人。おめでとうございます!

私は安井理夫さんを推薦しました。田辺市文化賞推薦委員の会議で安井さんを推薦する上で私がしたのは、小栗判官物語の重要性を伝えることでした。小栗判官物語を知らないことには安井さんの功績を理解してもらえないだろうと思ったので、私は以下のようなことを話しました。

  • 小栗判官物語は熊野信仰を広めるための物語であったこと。
  • 熊野への道が小栗街道とも呼ばるようになるほど庶民の間で人気を博したこと。
  • 小栗判官物語の研究や伝承は田辺市や熊野の観光振興に寄与すること。
  • 小栗判官の地上に戻されてからの姿がハンセン病患者をモデルにしていると考えられること。
  • 熊野がハンセン病患者を含めてあらゆる人々を受け入れてきた地域であったこと。
  • ハンセン病患者やその家族への国家による差別がつい最近まであったこと。
  • 小栗判官物語の根底には社会的弱者への支援があり、現在においてもその意義は失われていないこと。
  • 小栗判官の物語が伝えるメッセージは、誰一人取り残さず、すべての人に豊かで幸せな未来をもたらすことを目指すSDGsの基本理念に合致するものであること。

安井理夫さんの受賞は私自身もとても嬉しく、またお元気なうちに受賞していただくことができてホッとしました。

田辺市文化賞

またもう一人の受賞者である染谷文代さんも素晴らしい方です。図書館での子どもたちへの読み聞かせや、視覚障害者の学習支援のための録音図書の制作などに長年取り組まれました。染谷文代さんの活動にも社会的弱者への支援があります。

田辺市文化賞

後日、田辺市からお手紙と写真が届きました。田辺市文化賞贈呈式当日の写真。他の人も写っているのでぼかしましたが、2列目の真ん中辺りが私です。

小栗判官の物語について知るには近藤ようこさんの漫画がオススメです。原作に忠実に漫画化されています。

小栗判官の物語とSDGs

中世の口承文芸「説経」の最大の長編「小栗判官」は、常陸国の武士・小栗判官が相模国(現在の神奈川県)で毒殺されるも閻魔大王の計らいで亡骸のような姿で地上に戻されて熊野まで行き、熊野・湯の峰の湯で回復する物語です。

その人気は熊野への街道が小栗街道と呼ばれるようになるほどでした。「小栗判官」は「平家物語」と並んで熊野信仰にとって重要な物語です。

小栗判官の物語は現在でも舞台で演じられたりしていますが、それはその物語が今の世にも必要とされているからだと思います。

地上に戻された小栗判官は餓鬼阿弥と呼ばれ、その姿は当時「餓鬼病み」と言われたハンセン病の患者がモデルだと考えられます。

ハンセン病患者は国の強制隔離政策によって明治末期1907年(明治40年)から平成初期1996年(平成8年)までの90年にわたって差別され続けてきました。国が差別を助長し、患者だけでなくその家族も差別に苦しめられました。

ハンセン病患者への差別の責任を国が認めたのが平成の中頃2001年(平成13年)でした。そして患者だけでなくその家族への差別の責任を国が認めたのが一昨年2019年(令和元年)でした。

明治以降平成までのハンセン病患者とその家族への差別を助長し続けてきた近代日本の歴史を知ると、小栗判官の物語は今も重要性を失っていないように思います。

差別をするな。これは小栗判官の物語が今に伝えるメッセージのひとつです。

弱き人は助けなければならない。これもまた「小栗判官」が伝えるメッセージのひとつです。

小栗判官は目が見えない、耳も聞こえない、口もきけない、歩けもしない体で地上に戻されました。そのような体の小栗が熊野まで来ることができたのは熊野街道沿いの人々や熊野を詣でる人々の助けがあったからです。

弱き人は助けなければならないという思いが途切れることなく相模国から熊野まで繋がったから小栗は熊野まで来れたのです。

2015年の国連サミットで採択された持続可能な開発目標、SDGs、人類が存続するために世界が2030年までに達成すべき17のゴールのうち10番目のゴールは「人や国の不平等をなくそう」です。

差別をするな。弱き人は助けなければならない。
これらのシンプルなメッセージを発する物語は格差の拡大が進む現在、より重要度を増しているのではないか、と思います。

SDGsの3番目のゴールは「すべての人に健康と福祉を」。 16番目のゴールは「平和と公正をすべての人に」。

SDGsの基本理念は「誰一人取り残さない」です。

誰一人取り残ささず、すべての人に豊かで幸せな未来をもたらすことがSDGsの目指すところであり、小栗判官の物語が伝えるメッセージはSDGsの基本理念に合致するものであろうと思います。

小栗判官 現代語訳